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阿佐霧 峰麿

〈阿佐霧峰麿〉言葉にならなかった痛み──“細部を語れない”まま大人になった私(第二章①)

痛みはいつも、

胸の奥でひっそりと横たわっていた。

 

 

耐えられないほどではない。

 

誰かに泣きつくほど深刻でもない。

 

 

もっと曖昧で、もっと扱いづらく、

言葉にしようとすると

指の隙間から零れ落ちるような痛みだった。

 

 

 

私は長いあいだ、その痛みに

“名前をつける技術”を知らずに生きてきた。

 

 

語彙が乏しかったわけではない。

 

むしろ言葉への興味は人一倍強かった。

 

 

小学生の頃から漢字が好きで、

高校生の時、源氏物語を半年で読み切った。

 

 

その衝撃が忘れられず、

「同じ日本語でどうしてこんな世界が描けるのか」

 

その探究心が止まらず、

大学では平安王朝文学を専攻したほどだ。

 

 

 

読む力は十分あった。

言葉そのものへの好奇心もあった。

 

 

ただ──

自分の感情を、温度のまま言葉にする力だけは

驚くほど育っていなかった。

 

 

 

理由は単純だった。

 

思春期に、“言っても通じない”

という失望が先に育ってしまったからだ。

 

 

 

母に何か言われても、

胸の中は複雑なのに、

 

口から出るのは

「別に」「普通」「まあいいけど」

 

 

そんな“中身がないのに

会話は成立する言葉”ばかり。

 

 

 

細部を伝える前に、

 

「どうせ話が通じない」

「言ったところで変わらない」

「説明するだけ時間の無駄」

 

という感覚が先に立ってしまう。

 

 

これは、特別な事情ではない。

 

多くの思春期の男子が経験するあの距離感だ。

 

 

話す前から会話の未来が見えてしまい、

言葉の細部を切り捨てる癖だけが残った。

 

 

 

日本語は便利だ。

 

 

曖昧でも場が収まるし、

細かいところを説明しなくても

会話は成立する。

 

 

 

その便利さに頼るほど、

自分の感情の“輪郭”は失われていく。

 

 

 

悲しさのどこが苦しかったのか。

 

怒りのどの点に火がついたのか。

 

嬉しさのどの瞬間に胸が震えたのか。

 

 

そこを言葉にするには、

 

一度自分の内側に触れ、

温度を確かめ、

“形を与える作業”が必要になる。

 

 

 

私はそれをしてこなかった。

 

 

 

説明しなかったのではなく、

 

“説明できるほど

自分の感情に触れてこなかった”のだ。

 

 

 

だから、大人になるほど

 

内側で起きていることと

外側の言動のあいだに

大きなズレが生まれていった。

 

 

 

胸がざわつくのに言葉が出ない。

 

疲れているのに、

なにが疲れなのか説明できない。

 

違和感があるのに、その正体が分からない。

 

 

 

言葉にできない痛みほど、深く沈む。

 

 

 

そして私は、

その沈み方にまったく気づいていなかった。

 

 

“細部を語らないまま”

大人になっていた

 

 

 

 

この癖が、

のちにどれほど大きな影を落とすのか──

当時の私は知る由もなかった。

 

 

 

 

ここから私は、

長年見ないふりをしてきた自分の内側に

ひとつずつ言葉を灯していくことになる。

 

 

第2章はその再構築の物語だ。

 

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言葉でも、声でも、対面でも──

その日のあなたに合う距離で。

 

そっと寄り添える場所として、

ここにいます。

 

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