あぐり
何をしても、どこへ行っても、自分の場所が見つからない・・・
止まる勇気 ― 艮為山・上爻が教える心の解凍のとき
「何をしても、どこへ行っても、自分の場所が見つからない。」
20歳の女性から、そんな相談を受けました。
事務や流通の仕事を経験し、習い事もたくさん試してきた。
けれど心は凍ったまま。
まるで自分の人生に触れられないような、浮遊感。
その苦しさは、誰にも見えません。自分にしかわからない孤独です。
彼女のために易を立てると、「艮為山(ごんいさん)」の上爻。
山の象徴が重なるこの卦は、「止まる」ことそのものを意味します。
しかも上爻は山の頂。
もう進む道も、戻る道も見えない場所に立ち尽くしている姿です。
易はこう語ります。
「敦艮(とんげん)。吉。」
手厚く、深く、心を鎮めて止まることが幸いを呼ぶ。
止まるとは、逃げることでも、諦めることでもありません。
焦りと戦う勇気です。
若さはしばしば、「もっと先へ」と急き立てる。
同世代が夢を掴んだと聞けば、自分も走らなければと心が千々に乱れる。
けれど、艮為山の上爻が示すのはその逆。
いまは「動く段階ではない」ということ。
焦りから飛び出した一歩は、自分の魂から離れてしまう。
彼女はもう十分に動いてきました。
仕事も、趣味も、習い事も。
それらはムダではなく、素材です。
ただまだ、それを結ぶ中心――「自分とは何か」に触れていないだけ。
いま求められているのは、内側へ向かうこと。
しかし、内側を見つめることほど怖いことはありません。
自分の空っぽさ、弱さを直視するからです。
けれど、山の頂できちんと立ち止まった者にだけ、見える景色があります。
雲が晴れ、次に進むべき方向が見えてくる。
“止まる”という行為の中で、生きる軸が静かに育つ。
そのために、できることはとても小さくていい。
日記をつける。
散歩をする。
心が安らぐ人と話す。
「これが好き」と言えるものを、そばに置く。
情報から離れ、自分の呼吸が聞こえる場所にいる時間を大切にする。
それが、心を溶かす儀式になります。
20歳という時期は、人生の大きな「艮」。
子どもの自分と大人の自分のはざまで、立ち止まる岐路です。
この静止の季節を丁寧に生きた人は、他者のペースに流されず、自分の足で歩き出せる。
艮為山は、ひとつの約束をしています。
ちゃんと立ち止まった者だけが、
やがて、自由に道を選べる。
彼女の心に、春を待つ蕾のような輝きが宿っています。
凍った湖の下では、もう水が動き始めている。
だから急がなくていい。
焦りは、光を曇らせるだけだから。
何も見つからない時間こそ、
あなたという存在が形づくられている最中です。
静かに、深く、止まってください。
その沈黙の底に、次の物語の扉が眠っています。







