〈阿佐霧峰麿〉痛みを扱える形にするまでの距離感 (第二章⑥)
痛みが小さな名前を持ち始めると、
心の霧はゆっくり薄まっていった。
とはいえ、
その名前に真正面から触れられるほど、
私の心が整っていたわけではない。
たとえば「置き去り」
という言葉が浮かんだ日。
胸の奥がわずかに動いた。
でも、その動きを深掘りしようとすると、
ずっと見ないふりをしていた
何かが一気に噴き出し、
自分が自分を傷つけてしまいそうな気配があった。
痛みは、名前がついた途端に“実体”を持つ。
すると距離が一気に近づき、
息が詰まる瞬間がある。
だからこの時期に必要だったのは、
痛みに飛び込む勇気ではなく、
「距離の取り方を覚える」ことだった。
ある待機時間、
使わない紙の裏に、
ほんの一瞬だけペンを走らせた。
「心、ざわつく。」
ただそれだけ。
理由は書かない。
説明もいらない。
“ざわついた” という事実だけを外に出す。
不思議なもので、
それだけで心の負荷がほんの少し軽くなった。
痛みと自分のあいだに、薄い透明の膜が
ふわりと生まれたような感覚だった。
感情は、正面から捕まえようとすると重くなる。
でも、存在をただ記すだけなら、
心は驚くほど静かに反応する。
この“扱える距離”を作る作業が、
私には決定的に欠けていた。
それから私は、
仕事の合間や帰宅後の数分を使って、
同じように短い言葉を殴り書きしていった。
「胸がざらつく」
「落ち着かない」
「眠りが浅い」
ただの記録のようでいて、
これらはすべて “痛みを扱うための準備運動” だった。
つまずいた心は、
急に向き合えば砕けてしまう。
でも距離を置いて
そっと触れるだけなら、驚かない。
ある日ふと気づいた。
名前を持った痛みは、
扱えるようになるまで“時間”が必要だ。
心は、急激な変化を嫌う。
そして、いきなり
過去をこじ開けられることも嫌う。
けれど、少し距離を置かれることは、
むしろ安心する。
この時期の私は、
痛みの中身にはまだ触れていなかった。
触れなくてよかった。
大切なのは、
“痛みの存在を否定しないこと”。
そして
“抱えきれないほど近づけないこと”。
この “中間地点” を持てた瞬間、
心はようやく静かに、次の準備を始める。
痛みは、向き合う前に
「扱える形に整える」段階がある。
名前がつき、
距離が整い、
心の揺れ幅が静まってくると、
その輪郭は少しずつ変わっていく。
触れるたびに怯えていたものが、
ようやく“こちらのペースで扱える対象”へと
姿を変えはじめる。
その変化は劇的ではない。
けれど、心の奥にかすかな静けさが戻り、
呼吸の居場所が見つかる。
追いかけてくる痛みが、
一歩だけ下がってくれたような感覚。
そのわずかな余白の中で、
痛みは少しずつ語れる形になっていく。
向き合う力は、
大きな決意からではなく、
いつもこんな静かな準備から育っていく。
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言葉でも、声でも、対面でも──
その日のあなたに合う距離で。
そっと寄り添える場所として、
ここにいます。
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