〈阿佐霧峰麿〉痛みが“形”を持った瞬間、私の一年は書き換わった (第二章⑧)
「積み残し」という言葉が、
胸の奥に長く沈んでいた重さに
名前を与えた。
それまでの私は、
苦しいという感覚だけを抱えながら、
何が、どこで、どう苦しいのかを
説明できずに生きていた。
日常は、外から見れば破綻していない。
仕事はある。
会話もある。
生活のリズムも保たれている。
それなのに、
胸の奥だけが、ずっと重かった。
決定的な事件があったわけではない。
怒鳴り合いも、裏切りもない。
ただ、人生をどこへ向かわせるのかという
根本的な方針だけが、
どうしても噛み合わなかった。
妻の要望で、
私は一年待つことになった。
仕事へ行き、
片道一時間以上かけて帰り、
食べて、眠り、また働く。
その往復の中で、
私は前にも後ろにも進めなかった。
当時の私は、「選ばない」ことで
均衡を保とうとしていた。
選ばなければ、
誰かを傷つけずに済む気がしていた。
選ばなければ、
時間が解決してくれると信じていた。
だが後になって分かったことがある。
選ばないという行為そのものが、
新しい感情を積み残していく、
という事実だった。
処理できなかった違和感。
言葉にならなかった不安。
飲み込んだままの恐れと諦め。
それらは消えず、
胸の底に沈み続けていた。
そんな中で、
私に別の視点を与えてくれたのが占いだった。
四柱推命や紫微斗数の本を開く時間は、
一見すると現実逃避のようで、
実際には現実を直視するための準備だった。
運の流れ。
人生の節目。
それらを俯瞰して眺めることで、
私は初めてこう考えられるようになった。
──今は、動く時期ではないのかもしれない。
──この一年は、止まるために与えられた時間
なのかもしれない。
その瞬間、
胸の奥の重さは「意味」を持ちはじめた。
積み残しが構造として見え始めてから、
私の思考の向きは、少しずつ変わっていった。
以前の私は、
「どうすれば正解か」
「どちらを選べば失敗しないか」
その問いばかりを繰り返していた。
けれど、その問い自体が、
私を身動きの取れない場所に
縛りつけていたのだと、
後になって気づいた。
私に必要だったのは、
正解を選ぶことではなく、
「どこまでなら自分は耐えられるのか」を
知ることだった。
積み残しを見つめるという行為は、
過去を美化することでも、
自分を責めることでもない。
これ以上無理をすると壊れる地点を、
正確に把握することだった。
この一年で、
私は自分の弱さをいくつも見直した。
人に頼れないこと。
感情を言葉にするのが遅いこと。
決断までに時間がかかること。
それらは長い間、
欠点だと思ってきた性質だった。
けれど構造として捉え直すと、それは
「一度飲み込んでから判断する特性」だった。
衝動で壊さない代わりに、
内側で何度も組み直す。
その癖が、
ここでようやく意味を持ち始めた。
離婚成立までの一年は、
確かに長く、重かった。
だが、それは空白ではなかった。
私はそこで無意識のうちに、
積み残した感情を洗い出し、
過去の出来事を別の角度から見直し、
弱さを資質へと再定義し、
未来を逆算する思考へと切り替えていた。
積み残しが「構造」として見えたことで、
あの一年は、ただの停滞ではなくなった。
あれは、
私が人生を組み立て直すための
再設計の一年だったのだ。
曖昧だった重さは、
こうして静かに、
役割を持ちはじめた。
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その日のあなたに合う距離で。
そっと寄り添える場所として、
ここにいます。
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