ブログ

阿佐霧 峰麿

〈阿佐霧峰麿〉壊れた心で生きる技術が生まれた日(第三章①)

痛みに言葉が宿り、

過去の自分の声がようやく届きはじめた頃だった。

 

 

 

胸の奥に、

ひとつの静かな確信が生まれていた。

 

それは、これまでの私には

想像すらできなかった感覚──

 

 

「この痛みは、もう敵ではない。」

 

 

 

以前の私は、痛みを

“追い払うべきもの”として扱っていた。

 

 

 

胸がざわつくと、

それを無理やり押し込めたり、

 

仕事の忙しさで誤魔化そうとしたり、

何かで埋めてしまおうとする癖があった。

 

 

けれど、痛みが「積み残し」として姿を現し、

その声が“過去の自分”から届くようになった瞬間、

 

世界の見え方がほんの少し変わった。

 

 

 

 

痛みは私を脅かす怪物ではなく、

私に道を示す「内なるナビのような存在」

に変わっていった。

 

 

 

とはいえ、痛みが消えたわけではない。

 

 

仕事中にふと胸が重くなる瞬間もあれば、

 

帰り道の信号待ちで

昔の記憶がうっすら蘇ることもある。

 

 

それでも、その揺れ方が

以前とは違っていた。

 

 

 

痛みが顔を出すたび、

私は静かにこう思えるようになった。

 

 

「ああ、これはあの頃の自分が発している合図だ」

 

 

そう思えるだけで、

心の波は確実に穏やかになっていった。

 

 

 

この頃からだと思う。

 

私は、痛みと“距離をとる”のではなく、

痛みと“共に歩く”

という感覚を覚えはじめたのは。

 

 

 

痛みを消す必要はない。

 

 

ただ、その声を聞き、

扱い方を知ればいい。

 

 

 

そう腹の底で理解したことで、

私の生き方は少しずつ形を変えていった。

 

 

たとえば、胸がざわつくとき。

以前なら、その違和感を見ないふりをして、

 

「今は考えている場合じゃない」と

忙しさで思考ごと遠ざけていた。

 

 

「頭が重い」

「集中できない」

「なんか落ち着かない」

 

 

たったこれだけでよかった。

 

 

 

言葉として外に出すと、

痛みは私の内部を占領しなくなる。

 

 

痛みの“居場所”が移動するのだ。

 

 

 

仕事の合間のわずかな時間、

運転中の静かな空白、

帰宅後の数分──

 

 

その瞬間ごとに、

小さなメモを積み重ねていくと、

 

心の中に“ゆとりのポケット”

が生まれていった。

 

 

そのポケットがあるだけで、

痛みに押しつぶされることがなくなった。

 

 

 

同時に私は気づきはじめていた。

 

痛みとは、

私を前へ運ぶ重心なのかもしれない。

 

 

 

痛みがあるから、

私は立ち止まり、考え、選択し、

自分の進むべき方向を確認し続けてきた。

 

 

 

もし痛みがなかったら、

私は離婚という大きな選択にも踏み切れず、

 

自分の人生の再設計を

することもなかっただろう。

 

 

 

つまり痛みは、

私にブレーキをかける存在ではなく

 

むしろ“ハンドルを握り直すきっかけ”

を与えてくれるものだった

 

 

 

 

この気づきは、

私の心に新しい地図を描き始めていた。

 

 

壊れた心のままでもいい。

遅れていてもいい。

言葉を失う日があってもいい。

 

 

大切なのは、

 

その心と共に生きるための技術を

ひとつずつ身につけていくこと

 

 

 

ここから私は、

自分の心と協力しながら生きるという

 

これまでとは

まったく違う日々に入っていった。

 

—————————————————————

 

言葉でも、声でも、対面でも──

その日のあなたに合う距離で。

 

そっと寄り添える場所として、

ここにいます。

 

—————————————————————

X(旧Twitter)

運勢・ブログ更新・待機スケジュールなど、

日々の動きをすべてこちらでお知らせしています。

 

✦ 対面鑑定(原宿ほしよみ堂 / 毎週土曜日)👈ご予約はこちら

直接向き合いながら、未来の焦点を整える時間。

 

✦ プロフィール・ブログ一覧

阿佐霧 峰麿の歩みと、全ブログのアーカイブ。

 

✦ 電話占いヴェルニ

その日の気持ちをそのまま置ける場所。

(ほぼ毎日待機中|スケジュールはこちら)

 

※各項目を押すとリンク先に移動できます。

  • 「ほしよみ堂」youtubeチャンネル
  • 占い師募集

占いのことなら|ほしよみ堂 > ブログ > 〈阿佐霧峰麿〉壊れた心で生きる技術が生まれた日(第三章①)