馬道 東弥
義祖父が倒れた、あの日|「まさか自分が介護をする!?」から始まったストーリー

日常は、たった一瞬で裏返る
介護の始まりを受け入れられなかった私
あの日の夕方、食卓の音が止まった
春が近づく3月の夕方
17時。
それは私にとって贅沢かつ憂鬱な食事の支度時間。
いつものように、憂鬱な気分。
「またこの時間か…」
「正直、イヤ。」
贅沢だって、わかってる。
平和な時代に生まれ、安全に過ごせる日々の中で
何かに脅かされるわけでもなく
家族全員が平穏無事に生きていられる。
本当にありがたいことなのに、
自分のペースで生活できないことが嫌。
食事を作るものも、子どもの好みを採用したり
年配者が孫たちに合わせて食事をしているのも理解している。
でも、
決まりきった時間に
同じようなメニューの繰り返し
時が経つほどに家族全員の乖離していく《食の好み》
中間を取ればとるほど食べたときの反応が悪くなる。
まずいとは言われないがため息をつく家族の反応。
「また、コレ?」という日々の無言の圧力を勝手に感じ
心を小さく締めつけていました。
それでも、日常は動き続ける。
私は本音を隠しながら、
同居する義母とキッチンに立っていたその時──。
いつもは烏の行水なのに
「じーちゃん、風呂から出るの遅いね。」
義祖母の一言が、すべての始まりでした。
救急車を呼ぶまでの30分
お風呂場に駆けつけた義母の叫び声。
「だれか来て!救急車!」
そこからの時間は、嵐のようでした。
救急車が到着するまでの数分が、
永遠に感じられたのを今も覚えています。
春先はヒートショックや脳卒中の多い季節。
それを知るのは少し後のことでした。
18時を過ぎても、救急車は病院へ出発できず。
「受け入れ先が決まりません」と苦い顔の隊員。
私の頭の中は、怒りと不安と恐怖でいっぱいでした。
「こんなに待たされて、もしも後遺症が残ったら…?」
誰も答えてくれない現実に、
泣きたい気持ちを飲み込みながら。
家族それぞれの夜
運良く近所の総合病院に搬送が決まり
義母は同行し、私は家に残りました。
祖母の涙
子どもの寝息
海外赴任中の義父に連絡する夫。
検査や入院の手続きを済ませて
義母が帰宅したのは深夜2時だった。
誰もが不安を抱え、それでも日常の歯車は動く。
誰のせいでもないことなのに、
なぜかすべての責任が自分にのしかかっているように感じる。
夜が更けても心は落ち着かず、
ただ時計の針の音だけが響いていました。
これが、10年に及ぶ介護の始まり。
その重みを、その時の私はまだ知りませんでした。
今の私から、あの日の私へ
全てから逃げ出したくなってしまっているあの頃の私に
何かできるとしたら──。
ただ「よく頑張ってたね」と抱きしめてあげたい。
でも、
あの時は強がることでしか自分を守れなかった。
きっと拒むだろう。
根拠もなく「大丈夫」だと言って強がって。
今も昔も、素直になるというのが私のテーマなのでしょう。
しかし、今はわかります。
素直になる勇気こそが、
介護を支える力だということを。
そして、運命を変える力になるということを。
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