「見ない」ことと「向き合う」ことの境界線(第三章⑦)
心の違和感に気づけるようになると、
次に浮かんでくる疑問がある。
――では、この違和感は
いつ“見ればいい”のだろうか。
すべてを正面から受け止める
必要があるのか。
それとも、
まだ見ないほうがいいものもあるのか。
この問いに答えを出せずに、
多くの人が立ち止まる。
真面目な人ほど、
「気づいた以上、向き合わなければならない」
と思ってしまうからだ。
けれど、私はここで
はっきりと学んだことがある。
――心には、
“見ていいタイミング”と
“まだ見ないほうがいいタイミング”がある。
そしてその判断は、
頭ではなく、
心の反応そのものが教えてくれる。
違和感に触れたとき、
心がどう反応するか。
・少し重いが、呼吸はできる
・考えると疲れるが、壊れる感じはしない
・触れても、自分を責める方向に行かない
こういう反応なら、
それは「見てもいいサイン」だ。
一方で、
・一気に自分を否定し始める
・過去を責める言葉が止まらなくなる
・考えただけで体が固まる
こういう反応が出るときは、
それはまだ“見る準備が整っていない”。
ここで無理に掘り下げると、
回復どころか、
心はさらに後ずさりする。
私は、見ないことを
「逃げ」だと思わなくなった。
見ないのは、
拒絶ではない。
保留だ。
今は扱えないから、
一旦そっと脇に置く。
それだけのことだ。
運送の仕事でも同じだ。
荷物の中に、
今すぐ降ろすものと、
最後まで積んでおくものがある。
順番を間違えれば、
現場は混乱する。
心もまったく同じで、
扱う順番を誤ると、
全体が崩れる。
だから私は、
違和感に気づいたとき、
すぐに答えを出そうとしなくなった。
代わりに、
こう問いかける。
「これは、今見るものか」
「それとも、まだ積んでおくものか」
答えは、
たいてい言葉になる前に分かる。
見る準備ができている違和感は、
静かだ。
押しつけてこない。
ただ、そこにある。
逆に、
まだ見ないほうがいいものは、
触れた瞬間に
心が乱暴な動きを始める。
この違いが分かるようになると、
心との付き合いは
一気に楽になる。
すべてに向き合わなくていい。
すべてを今、解決しなくていい。
“今の自分が扱える分だけ”
拾えばいい。
それだけで、
人生は十分に前へ進む。
壊れた心で生きる技術とは、
勇敢に掘り進むことではない。
順番を守ること。
無理をしないこと。
そして、
「まだ見ない」という選択を
自分に許すことだ。
この感覚を身につけてから、
私は心に対して
ずいぶん優しくなれた。
急かさない。
試さない。
追い込まない。
ただ、
「今はここまででいい」
そう言ってやれるようになった。
その静かな判断の積み重ねが、
心との信頼を
確実に取り戻していった。
見ない時間もまた、
回復の一部なのだ。
そう理解できたことは、
私にとって
とても大きな転換だった。
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