曽我部 キキョウ
自由人という名の不自由な人々との付き合い方 その5
「あたしは自由人なの」
そんなセリフに振り回された経験はありませんか。
本当の意味で自由な人になるために、
そして自由という免罪符を振りかざす人と
上手く付き合うために。
===目次===
(1)自由過ぎる人は、本当に自由なのか
(2)「自由」という名の地雷
(3)なぜ自由過ぎる人といると疲れるのか
(4)期待しない、変えない、深入りしない
(5)自由な人と、無責任な人の決定的な違い
(5)自由な人と、無責任な人の決定的な違い
自由な人と言うと、安心を求める人とでは
全く正反対に思えます。
しかし自由過ぎる人の本質を探ってみると
明らかな共通点があります。
安心を求めている人は、
あなたも想像できるように、
何かに縛られ、誰かに決めてもらうことで
心の安らぎを得ます。
自称自由人はと言いますと、
こちらは何物にも縛られたくない、
何かを決めたくない、
ということを主張します。
比較してみると一目瞭然。
ただ枝葉部分が違うだけで、
根は同じです。
自分で引き受けるのが怖い。
安心したい人は
「誰かが決めてくれれば、
失敗は自分のせいじゃない」と思っています。
自由でいたい人は
「決めなければ失敗もない」
と思っていて、
どちらも責任を回避しようとするのです。
形は違えども、目的は同じ。
そして、自由を振りかざす人ほど、
じつは自由ではありません。
なぜなら、本当に自由な人は
わざわざ「私は自由人」などと名乗らない。
そして自由は状態ではなく、
態度のことです。
自由だから○○しない、
自由だから約束できない、
縛られるのは無理。
責任を取らないためのいいわけです。
自由を立てにする人に限って、
常に何かから逃げています。
少しわかりやすく、特徴を並べてみましょう。
選択の結果を引き受けない。
他人の期待を勝手に裏切り、説明しない。
自由を制限されると、強く反発する。
どうでしょう。
要するに、権利だけほしくて、
代償を払わないということです。
それでは、本当に自由な人とは、
一体どういう人のことを言うのでしょう。
自由人は確かにいます。
けれども、自称自由人とは明らかに違います。
まず、約束をすることも、
破ることもありますが、
必ず説明をするし、
責任から逃れようとはしません。
また時には不自由を選ぶことも、
自由であると知っています。
できないことは率直にそういいますが
なかったことにはしません。
自由とは、何をしてもいいことではありません。
何が起きても、
自分で責任を持つ覚悟のことです。
自称自由人と真の自由人の差が
分かっていただけたところで、
自分に問いかけてみましょう。
自由を選んでいるのか、
それとも責任から逃げているだけなのか、と。
その違いは、言葉ではなく、
人生の扱い方に現れます。
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