深掘りしないまま、触れるという選択(第三章⑧)
「これは、今なら見てもいい」
そう判断できるようになったとき、
次に必要になるのは、
“どうやって触れるか”
という技術だった。
多くの人はここで失敗する。
見ると決めた瞬間、
一気に理解しようとする。
原因を特定し、意味を与え、
結論まで出そうとしてしまう。
けれどそれは、
心にとっては急ブレーキだ。
壊れた心は、
一気に掘り下げられることを嫌う。
なぜなら、過去の自分を丸ごと
引きずり出される感覚になるからだ。
だから私は、
「見る」と決めたときほど、
深掘りをしないようにした。
触れるが、掘らない。
感じるが、分析しない。
やることは、驚くほど少ない。
まず、
違和感が出ている“事実”だけを確認する。
たとえば、
胸が重い。
集中が続かない。
人の声が少し遠い。
理由は考えない。
いつからかも詮索しない。
解決策も探さない。
ただ、
「今こういう反応が出ている」
それだけを、静かに置く。
この段階で大事なのは、
言葉を“短く”保つことだ。
長い説明は要らない。
物語にしなくていい。
評価も結論も持ち込まない。
心が受け取れるのは、
ほんの一文くらいの情報量だ。
次に、その違和感に
“触れたあとの変化”を見る。
重さは増えたか。
それとも、少しだけ動いたか。
呼吸は浅くなったか。
逆に、少し楽になったか。
ここでも、
良し悪しは判断しない。
変化があったかどうか、
それだけを見る。
もし触れたあとに、
心がざわつき始めたら、
そこで終わりにする。
今日はここまで。
これ以上は触らない。
それが、
“正しい引き際”だ。
逆に、
触れても大きな反応がなく、
ただ静かに余韻が残るなら、
それは「扱える量」だった
ということになる。
私はこのやり方を覚えてから、
心に対して
とても慎重になった。
優しくなった、というより、
雑に扱わなくなった。
壊れた心で生きるというのは、
感情を解放することでも、
吐き出しきることでもない。
一気に軽くなることを
目指さない。
むしろ、
重くならない範囲を守る。
それが結果的に、
一番遠くまで行ける。
心は、少しずつしか
信頼を回復しない。
急かせば黙る。
詰めれば閉じる。
でも、
「ここまででいい」と区切ると、
次の機会には、
もう一歩だけ近づいてくる。
私はそれを、
何度も体感した。
見る。
触れる。
やめる。
この三つを
同じ重さで扱えるようになったとき、
心との距離は
驚くほど安定した。
深く理解しなくてもいい。
全部を言葉にしなくてもいい。
大切なのは、
“壊れない触れ方”を知ること。
それができるようになると、
心はもう、
敵にも課題にもならない。
ただ、
共に歩く存在になる。
そして私は、
ようやく次の段階へ進める準備が
整っていることに気づいた。
この先では、触れた痛みを
どう日常に持ち帰るか。
どう生活の中で使っていくか。
その話をしていくことになる。
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その日のあなたに合う距離で。
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