壊れた心のまま、人と関わるということ（第三章⑩）
心と付き合う感覚が
少しずつ整ってくると、
次に避けて通れなくなるのが
「人との距離」の問題だった。
ひとりでいるときは、
心の声に耳を澄ませることができる。
けれど、人が介在した瞬間、
その感覚は一気に乱れやすくなる。
気を遣う。
合わせる。
空気を読む。
期待に応える。
以前の私は、
この工程をほとんど無意識でやっていた。
心がざわついても、
「自分の問題だ」と処理する。
違和感があっても、
「大人なんだから」と飲み込む。
その積み重ねが、
どれほど心を消耗させていたかを、
当時の私は知らなかった。
壊れた心で生きる技術を
身につけ始めてから、
私は人との関わり方を
根本から見直すようになった。
それは、
「分かり合おうとしない」
という選択だった。
誤解しないでほしい。
突き放すという意味ではない。
相手を理解しようとしすぎない、
という意味だ。
分かろうとすると、
心は前に出すぎる。
前に出すぎた心は、
必ず疲れる。
だから私は、
人と関わるときに
ひとつの基準を持つようになった。
「この関係は、
今の自分の心の速度に合っているか？」
話す内容ではない。
相性でもない。
正しさでもない。
ただ、
自分の心が無理なく呼吸できるかどうか。
合わないと感じたら、
深く入らない。
切る必要もない。
距離を一段階下げるだけでいい。
これができるようになると、
人間関係は驚くほど静かになる。
嫌われないように動かなくていい。
理解されるために説明しなくていい。
壊れた心は、
「安全な距離」を本能的に知っている。
その感覚を信じるようになってから、
私は人と会ったあとに
極端に疲れることが減った。
同時に、
少数だが深く関われる人との時間が
自然と残るようになった。
無理をしない関係は、
刺激は少ない。
けれど、消耗もしない。
ここで私は、
ひとつの逆説に気づいた。
心が壊れた人ほど、
本当は人と丁寧に関われる。
なぜなら、雑な関係が
どれほど心を削るかを知っているからだ。
壊れた心は欠陥じゃない。
繊細さという精度を持ったセンサーだ。
そのセンサーを無視せず、
かといって振り回されもしない。
距離を測り、
深さを選び、
速度を合わせる。
それができるようになると、
人との関係は
「耐えるもの」ではなくなる。
私はもう、
誰かと関わることで
自分を削る必要がなくなった。
同時に、
孤独を恐れることもなくなった。
ひとりでいられる心は、
人といるときも無理をしない。
壊れた心で生きるというのは、
弱くなることではない。
むしろ、
どこまで近づいていいかを
正確に知っている状態だ。
この章で書いてきた技術は、
心を治すためのものではない。
壊れたままでも、
折れたままでも、
歪んだままでも、
人生を誤らずに進むための技術だ。
そしてそれは、
特別な才能ではない。
ただ、
自分の心を敵にしなかった人だけが
手に入れられる感覚なのだと思う。
そして私は、
この感覚を携えたまま、
もう一度、世界の中へ戻っていった。
壊れた心は、
もう足を引っ張らない。
それどころか、
これから先を照らす
確かな感覚として、
静かにそばに在り続けている。
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その日のあなたに合う距離で。
そっと寄り添える場所として、
ここにいます。
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