プラタ 真寿
『SONYを退社したのは…』
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生まれて初めての仕事はSONYだったの。
学校の推薦で入社が決まり
特別な努力をした実感もないまま
わたしはその場所に立っていたわ。
周りから見れば
きっと恵まれたスタートだったと思うの。
🔷 大手企業
🔷 安定
🔷 将来も安心
そんな言葉が自然とついてくる環境だったわ。
でもね
働き始めてしばらくすると
心の奥に小さな違和感が芽生えたの。
与えられた仕事をこなしながら
ふと立ち止まる瞬間が増えていったわ。
『 これって わたしじゃなくてもできる仕事よね❔ 』
その問いは
誰にも言えず
わたしの中だけで何度も繰り返されていたの。
SONYは本当に良い会社だったわ。
🔷 整った環境
🔷 丁寧な指導
🔷 学べることも多く
不満を口にする理由は見当たらなかったの。
だからこそ苦しかったのよね。
恵まれているのに満たされない自分を
どこかで責めていたわ。
『 贅沢なのかもしれない 』
そう言い聞かせながら
心を置き去りにして働いていたの。
『 向いていると思うよ 』
『 続けたほうがいいわ 』
そんな言葉をもらうたびに
わたしは笑顔でうなづいたの。
でもね、うなづけば うなづくほど
自分が薄くなっていく感覚があったわ。
🔷 ここにいる理由も
🔷 わたしである意味も
見えなくなっていったの。
辞める決断をしたとき
覚悟はしていたつもりだったの。
それでも家族の反応は思っていた以上に冷ややかだったわ。
『 もったいない 』
『 せっかく入ったのに 』
『 我慢すればよかったのに 』
心配から出た言葉だと分かっていても
その一言一言が胸に残ったの。
誰もわたしの内側で起きていることには
触れなかったわ。
安定という言葉の裏で
わたしがどれほど息苦しさを感じていたか。
『 ちゃんとした道 』から外れることがそんなにも悪いことなのかと
何度も自分に問いかけたの。
それでもわたしは辞めたの
怖くなかったと言えば嘘になるの。
でもね
あのまま続けていたら
きっともっと大切なものを失っていたと思うの。
それは肩書きでも
評価でもなく
『 わたし自身 』だったの。
当時のわたしは
自分が何をしたいのか分かっていなかったわ。
ただひとつ
『 ここじゃない 』
という感覚だけは確かだったの。
理由は説明できなくても
その感覚を信じることにしたのよ。
今振り返ると
SONYで過ごした時間は無駄じゃなかったわ。
組織の中で働く経験も
枠の中の安心と窮屈さも
すべて今のわたしにつながっているの。
あの違和感があったからこそ
自分の感覚を信じる力が育ったのよ。
『 わたしじゃなくてもできる 』
その気づきは
劣等感じゃなかったわ。
それは
『 わたしにしかできない場所がある 』
というサインだったの。
家族の言葉に傷ついたことも
ちゃんと事実よ。
誰かに理解されなくても
自分を裏頷いたの切らない選択があることも知ったの。
人生は
説明できない決断の連続だと思うわ。
あのとき辞めたわたしは
弱かったかもしれないの。
でも
逃げたわけじゃないわ。
自分の声を聞いて
自分で選んだ結果だったの。
もし今
同じような違和感を抱えている人がいるなら伝えたいわ。
その小さな引っかかりは
間違いじゃないの。
それは
あなた自身があなたに送っている
大切な合図よ。
🔷 安定よりも
🔷 正解よりも
🔷 心がちゃんと息をしているか。
それを大切にしていいの。
わたしは
あのときSONYを辞めて
やっと『 わたしの人生 』を歩き始めたの。
🟡 遠回りでも
🟡 失敗でもなかった
すべて必要な道だったと
今は静かに思えるの。
🩵🌿🩵🌿🩵🌿🩵🌿🩵🌿🩵🌿🩵🌿🩵🌿🩵
✨✨ あなたが今日も ✨✨
🩵 軽やかに1mmでも前へ進めますように 🩵
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