構造を持った瞬間、他人は「敵」ではなくなった(第四章⑤)
自分の人生を説明できる軸を持ったあと、
私の世界で次に変わったのは、
人の見え方だった。
それまでは、他人の言動に
振り回されることが多かった。
理不尽に感じる態度。
話が通じない相手。
なぜそんな選択をするのか分からない人。
理解できないものは、不安になる。
不安は、いつの間にか
警戒や苛立ちに変わる。
私は長いあいだ、
「分からない他人」とどう距離を取るかだけで、
人間関係を処理してきた。
けれど、自分自身を“構造”として
捉え直したことで、あることに気づいた。
自分ですら、
構造がなければ理解できなかった。
感情も、選択も、過去の行動も、
ただの「よく分からない自分」だった。
それなのに、
なぜ他人だけは
感情や善悪で分かると思っていたのだろう。
この気づきは、決定的だった。
構造を知るということは、
誰かを評価するためではない。
「なぜそうなるのか」を
説明するための道具なのだ。
占いを通して見ると、
そこには善人も悪人もいない。
あるのは、
・どこに負荷がかかりやすいか
・どこで無理をしやすいか
・どんな場面で判断を誤りやすいか
そうした“傾向”だけだ。
人は自由に見えて、
実はかなり制約の中で動いている。
そう分かってから、
私は他人に対して、
以前ほど感情を荒らされなくなった。
納得できない言動を見たとき、
「理解できない」と切り捨てる代わりに、
「この人は、ここが重たいのかもしれない」
そう一度、構造の仮説を置く。
もちろん、
すべてを受け入れるわけではない。
距離を取る判断も、断る判断も、
以前と変わらずする。
ただひとつ違うのは、
相手を“敵”にしなくなったことだった。
構造を通して見ると、
人は「選んで壊れている」のではない。
多くの場合、
その人なりに最善を選び続けた結果、
歪みが出ているだけだ。
それは、かつての私と同じだった。
この視点を持ってから、
人間関係は驚くほど静かになった。
相手を変えようとしなくなった。
分かってもらおうと力まなくなった。
説明できないものを、
無理に感情で処理しようともしなくなった。
というより、
相手を変えようとする、という発想そのものが
静かに消えていった。
そもそも、人は
他人の構造を変えられるはずがない。
自分ですら、あれほど時間をかけて
ようやく理解できたのだから。
分かってもらえないことを嘆くより、
分からないものは、分からないまま置く。
説明できないものは、
説明できないまま保留する。
それで関係が壊れることはなかった。
むしろ、
無理な説明や期待が消えたぶん、
余計な摩擦は確実に減っていった。
それは、冷たくなったわけでも、
距離を突き放したわけでもなかった。
むしろ、
関係を壊さずに保つための
“構造的な距離”が見えただけだった。
構造は、
共感を強制しない。
同意も求めない。
ただ、
「理解できる余地」を残してくれる。
そして何より、
自分が壊れない距離で人と関われる。
占いは、
未来を当てるための道具ではなかった。
他人を裁くための武器でもなかった。
それは、
自分と他人のあいだに
余計な誤解を生まないための、
静かな翻訳機だったのだ。
自分の人生を説明できるようになったとき、
私はようやく、
他人の人生にも敬意を持てる場所に立てた。
構造を知るとは、
世界を単純にすることではない。
むしろ、
複雑さをそのまま受け止めるための準備なのだ。
そしてその準備が整ったとき、
人は初めて、
誰かと並んで歩くことができるようになる。
無理に分かり合わなくてもいい。
ただ、壊さずに済む。
――それは、分からないことを
戦いにしなくていい、という意味だ。
それだけで、
世界は十分に生きやすくなる。
—————————————————————
言葉でも、声でも、対面でも──
その日のあなたに合う距離で。
そっと寄り添える場所として、
ここにいます。
—————————————————————
運勢・ブログ更新・待機スケジュールなど、
日々の動きをすべてこちらでお知らせしています。
✦ 対面鑑定(原宿ほしよみ堂 / 毎週土曜日)👈ご予約はこちら
直接向き合いながら、未来の焦点を整える時間。
阿佐霧 峰麿の歩みと、全ブログのアーカイブ。
その日の気持ちをそのまま置ける場所。
(ほぼ毎日待機中|スケジュールはこちら)
※各項目を押すとリンク先に移動できます。







