プラタ 真寿
『わたしの肩書き…フリーター』
SONYを退職したあと
わたしは突然
『 フリーター』
と呼ばれる立場になっていたの。
🟡 それは肩書きであって
🟡 評価であって
🟡 時にはラベルだったわ。
名刺から会社名が消えた瞬間
わたしは急に
『 説明の必要な人 』になった氣がしたし
実際にそのように扱われたの
🔷 何をしているの?
🔷 次はどうするの?
🔷 安定は考えないの?
そんな問いが
外からも
内からも いつも飛んできたわ。
でもその頃のわたしは
答えを持っていなかった。
持っていなかったというより
急いで答えを決めたくなかったのかもしれない。
フリーターと呼ばれながら過ごした日々は
🔷 探す時間だった。
🔷 自分に何が出来るのか。
🔷 何をしたいのか。
🔷 どんな生き方をしたいのか。
これまでのキャリアや実績を一度、脇に置いてみたの。
🟡『 SONYにいたわたし 』ではなく
🟡『 何者でもないわたし 』に
戻ってみたかったのよね。
仕事を選ぶ基準も変わったわ。
🔷 お金だけでも
🔷 肩書きだけでもなく
《 自分の感覚が縮こまらないか 》
を大切にするようになった。
🔷 やってみて違うと思えばやめる
面白いと思えば、続ける。
その繰り返しが、少しずつ輪郭をつくっていったわ。
不安がなかったと言えば嘘になる。
同世代が前に進んでいるように見えて、
立ち止まっている自分を責めた夜もあった。
でもね、立ち止まることと、迷うことは、後退じゃなかった。
わたしにとっては、方向を定めるための必要な時間だったの。
あの頃のわたしは、「正解の生き方」を探していたんじゃない。
「納得できる生き方」を探していたのよ。
誰かの基準ではなく、自分の呼吸に合うリズムを。
フリーターと呼ばれた時間は、
肩書きよりも感覚を信じる力を育ててくれた。
自分の声を聞く静けさを、与えてくれた。
今振り返ると、あの日々があったからこそ、
わたしは今の生き方を選んでいる。
遠回りに見えた道は、ちゃんとわたしの中心につながっていたのよね。
探していた日々は、迷いではなく、準備だった。
そう思える今のわたしが、ここにいるわ。







