ブログ

あぐり

純粋な愛が、現実を切り開く――『潮騒』を読む

潮騒は、恋愛小説でありながら、単なる情念の物語ではない。

そこに描かれているのは、人が人を愛するという行為が、どれほど深く人間の存在を揺り動かし、現実そのものの輪郭を変えていくのか、という根源的な問いである。

舞台は伊勢湾に浮かぶ架空の島・歌島。

自然とともに生きる人々の営みが、簡潔で澄んだ筆致で描かれる。

主人公は若き漁師・新治。相手は島の名士の娘・初江。

二人のあいだには、身分の差という目に見えぬ壁が横たわっている。

島の慣習に従えば、この恋が成就する可能性は限りなく低い。だが、物語は最初からその「不可能性」を前提としていない。

三島はここで、人が恋に落ちるということを、社会的条件や心理的計算の産物として描かない。むしろそれは、太古から人間の内部に眠っていた原初の炎が、ふいに呼び覚まされる出来事として現れる。

その点で『潮騒』は、古代ギリシアの牧歌劇、すなわちダフニスとクロエを原型とする神話的構造を持っている。

作中で象徴的なのが、いわゆる「火を飛び越す」場面である。内気で、島の未来をただ受け入れるだけだった新治が、初江への想いによって、自らの限界を越える。

その跳躍は、恋に酔った衝動ではない。

純粋な愛が、人を勇気へと変容させる瞬間だ。愛とは新たなる自分への飛躍を賭けるもの、今まで自分が知らなかった自分へと生まれ変わらせる、そんな力を秘めているのだ。

二人の前に立ちはだかる試練は続く。初江に言い寄る安夫の卑劣な策略、そして新治に課される船員修業という最終試験。だが印象的なのは、困難そのものよりも、それに対する新治の姿勢である。嵐の夜、漂流しかけた船を繋ぎ止めるため、危険な役目を誰かが引き受けねばならない。そのとき真っ先に手を挙げたのは新治だった。初江への恋の成就を打算から手を挙げたのではない。ただ、自分が今なすべきこと、船が流されるかもしれないという現実を、なんとかしなければならないという純粋な思いから死をも恐れぬ行為を引き受けたのである。

真に人を恋することができる人間は、また誠の生き方を自ずと選び取るものなのだ。

この物語が美しいのは、純愛が決して二人だけの閉じた世界に終わらない点にある。新治に想いを寄せる千代子は、その恋が実らぬことを知りながらも、新治の在り方に触れることで、自身の価値と生き方を見出していく。真実の恋に生きる姿は、周囲の人々の心を打ち、静かに変化を促す。愛は所有ではなく、影響なのだ。

「純粋な愛は現実を変える」という単純だが、現代では疑われがちな真理である。愛があるから奇跡が起きるのではない。愛に生きることで、人は本来持っていた勇気と誠実さを取り戻し、その結果として現実が動き出す。

神話とは、遠い昔の幻想ではない。それは今も、人が人を真実に愛そうとするとき、ふたたび立ち上がる物語の型なのだ。『潮騒』は、そのことを、海の匂いと風の音とともに、私たちの胸にそっと刻みつける。

  • 「ほしよみ堂」youtubeチャンネル
  • 占い師募集

占いのことなら|ほしよみ堂 > ブログ > 純粋な愛が、現実を切り開く――『潮騒』を読む