あぐり
2026年 丙午の年 年の初めに寿ぎて
冬至を越えてなお、夜明けは遅い。
山の端をかすめるように、かすかな茜が差し込み、冷たい空気の粒子を震わせながら、光は静かに世界へ滲み込んでいく。
静かに明けゆく元旦の空。
それは、天地の奥深くでひそやかに芽吹く、原初の目覚めの瞬間である。
この日、この時、この呼吸の数だけ、すべてが生まれ変わる。
私たちはその只中にいる。
だから祈ろう。
声にならない言葉で、胸の奥の柔らかな場所で、密やかに祈ろう。
ここに在ること、この大地と空気と風と星々のあいだに、いま、生きて立っているという奇跡に、深い感謝を捧げよう。
五感を澄ませば、風の音はただの風ではない。
遥か古層の記憶を運び、私たちの内側のどこか遠い場所に触れてくる。
冬の空気の緊密さには、世界がひとつになる瞬間のような張りつめた気配がある。
眠りについた草木の根はなお大地の奥で脈打ち、生命の躍動は地下の暗闇で熱をたたえ、春の気配を孕んでいる。
人間社会の恣意的な営みが息を潜めるこのひととき、
私たちは、ようやく取り戻せるのだ。
名を忘れ、肩書を忘れ、期待や比較の鎖を解き、
ひとつの生命としての、自分自身の原像に触れることができる。
どこから来て、どこへ向かうのか。
自分にとって自然な在り方とは何か。
その問いを風に預けるなら、風はきっとどこかで応える。
大地に尋ねるなら、深い地の奥底から、かすかな声がふうっと返ってくる。
それは音ではなく、感覚のかたちをした返答だ。
かすかな温度、肌を撫でる気配、胸の奥がふっと広がる感覚——
それらすべてが、祈りに対する答えである。
祈りとは、原初の自己と再びつながる儀式だ。
凍てつく大地の上にも、冷たい北風のなかにも、
自分の断片は散らばっている。
それを拾い集めるのが新年の朝である。
真実の声に触れたとき、私たちは何者にも動じない。
ひとり歩むようでいて、実はいつだって多くの存在に支えられ、
宇宙の星々と共鳴しながら、この地上を旅している。
かつて目指した場所へと、再び歩み始める勇気は、
壮大な決意ではなく、日々を丁寧に生きるという、ごく静かな姿の中に宿る。
真の勇者とは、特別な舞台に立つ人ではない。
日常を愛し、瞬間を慈しみ、
ひとつの勇気、ひとつの挨拶、ひとつの呼吸をもって世界と調和する人である。
だから、この年の初めに思い出してほしい。
私たちは何を目指してこの世に生を受けたのか。
成功や名声を求める前に、
まず「生きることそのもの」を感じ尽くすために私はここにいるのだと、
そう自らに告げる静かな勇気を。
新しい年の光は、まだ弱々しい。
けれど、弱い光だからこそ、影はやさしく、世界の輪郭は柔らかい。
その曖昧さの中で、人は再び選び直す。
自分の声で、自分の歩幅で、自分の魂にふさわしい道を。
元旦とは、暦の上の始まりではなく、
魂の上にひらく小さな扉だ。
今日、どこかで扉がひらいたなら、
その微かな音に耳を澄ませてほしい。
あなたの旅は、もう始まっている。
ひとつの祈りを携えた足取りは、
すでに未来へと踏み出しているのだから。
——
ここからまた、生まれよう。
世界とともに、自分自身とともに。







