占いという構造が「軸」になった理由(第四章⑦)
構造を持って選ぶようになり、
私はようやく「立て直せる感覚」を手に入れた。
けれど、そのとき
ひとつの疑問が浮かんでいた。
──そもそも、なぜ私は
ここまで「軸」を必要としていたのだろうか。
一見すると、
その必要はなかったはずだ。
走りながら修正すること自体は、
私にとって決して苦手なことではなかった。
むしろ、それで何度も乗り切ってきた。
だからこそ、
「軸がない」という事実に
長いあいだ気づかずにいられたのだと思う。
うまくいかなくても、
その場で調整し、
感覚でズレを修正し、
なんとか形にして前へ進む。
これまでの人生は、
そうやって、綱渡りのように
成立してきた部分が大きい。
けれど、ある時ふと
立ち止まって思った。
軸を持たずに、
私はいったい「何を基準に」
修正してきたのだろうか。
器械体操をしていた頃を思い出す。
技に挑戦するとき、
まず頭の中に完成形がある。
お手本となる演技があり、
そこに向かって跳び、
失敗し、
修正をかける。
感覚で調整しているようでいて、
実はそこには明確な「基準」が存在していた。
お手本という軸。
目指す形。
戻る場所。
だから修正が意味を持つ。
では、人生はどうだろう。
判断を下すとき、
自分のモデルケースになる人間を
探すことはできない。
仮に見つかったとしても、
年齢も、家庭環境も、
仕事も、価値観も、
タイミングも違う。
完全に同じ人生など、
どこにも存在しない。
あったとしても、
共通点をいくつか抽出して、
「なんとなく似ている」
その程度のものだ。
それは参考にはなっても、
軸にはならない。
人生の判断において、
私はずっと
「お手本のない修正」を
繰り返してきたのだと気づいた。
だから迷う。
だから消耗する。
だから、選んだあとも揺れ続ける。
走りながら修正しているつもりで、
実際には
戻る基準のない修正を
延々と続けていただけだった。
この構造に気づいたとき、
ようやく腑に落ちた。
必要だったのは、
正解を教えてくれる誰かではない。
未来を保証してくれる答えでもない。
自分が戻ってこられる
「基準点」だったのだ。
そこで初めて、
占いというものの位置づけが
私の中で変わった。
占いは、
未来を当てるためのものではない。
自分自身の形を知るためのものだ。
どんな性質を持ち、
どこで無理が出やすく、
どんな局面で判断を誤りやすいのか。
それを構造として把握することで、
私は初めて
迷ったときに戻ってこられる基準点を
自分の内側に持つことができた。
他人の人生をなぞらなくていい。
一般論に自分を押し込めなくていい。
判断に迷ったとき、
戻る場所がある。
この選択は、
自分の構造に合っているか。
無理を前提にしていないか。
後で自分を裏切らないか。
その問いに立ち返れる。
占いという構造は、
人生のすべてを決めるものではない。
けれど、
選び方の軸にはなり得る。
私はようやく、
迷っても立て直せる人生を
手に入れたのだと思う。
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