あぐり
文化を創るという意気込みで始めた企画に人が集まりません…
「文化創造という趣旨で始められた企画ですが、すでに発起人は匙をなげ何もしようとしません、現場の人間だけでなんとか続けている状態、趣旨は大切だし、朝の時間であることに大切さは変わらないと思うのですが、人のモチベーションも集まりも思わしくないのです。配信を続けるべきかどうか」とのご相談。
易を立てたところ山風蠱(さんぷうこ)の初爻
静かで、しかし重たい問いです。
山風蠱・初爻は、まさにいまの状況を驚くほど正確に写しています。
蠱とは「腐敗」です。
怠慢や惰性、責任の放棄、理念と行為の乖離。
それらが長く放置されると、山の下に風が滞り、目に見えぬ虫が湧く。
この卦は、誰かを糾弾するためのものではなく、「時間の中で自然に起きた劣化」を冷静に見据える視線を与えます。
初爻が語るのは、始末をつける役割が、次の世代・現場の側に回ってきたという事実です。
発起人が匙を投げたこと自体は、すでに責めの対象ではありません。
爻辞が「父に咎なし」と言うのは、道義的免罪ではなく、いま問われるべき主体が別に移ったという宣言です。
ここで重要なのは、「続けるべきか、やめるべきか」という二択ではありません。
蠱の初爻が問うているのは、もっと根源的な一点です。
それは――
これは誰の志として続けるのか、という問いです。
初爻は力が弱い位置です。
人も集まらない、反応も薄い、支援も乏しい。
それでも「幹(ねもと)を治す」役目がある。
幹とは、形式や回数ではなく、意味の芯です。
・朝である必然は何か
・文化創造とは、誰にとって、どんな変化をもたらすのか
・続けることで、何が“わずかでも”正されているのか
この問いに、現場の言葉で答えられなくなったとき、配信はすでに蠱に侵されています。
逆に言えば、人数が少なくとも、熱が弱くとも、
「これは自分が引き受けた仕事だ」と静かに言えるなら、それは蠱を治める行為です。
ただし、ここには大切な注意があります。
初爻は「厲(あやうし)」です。
無理をしてはいけない。
犠牲や自己消耗によって続けることは、治療ではなく延命にすぎません。
蠱・初爻が示す最も誠実な読みは、こうでしょう。
続ける価値があるかではなく、
自分は“この腐敗を引き受ける人間か”を問え。
引き受けると決めたなら、規模を縮めてもよい。
形を変えてもよい。
頻度を落としてもよい。
それは後退ではなく、幹を守る行為です。
もしその問いに、もう答えられないと感じたなら、
潔く閉じることもまた「幹を治める」一つのかたちです。
蠱は、惰性の継続を最も嫌います。
山風蠱・初爻は、英雄譚を求めていません。
ただ、静かに言っています。
――小さくてもよい。
――弱くてもよい。
――だが、腐ったままにはするな。
その声に、どう応えるか。
それが、あなた自身の志の在り処を照らしています。







