あぐり
深い瞳のシベリアンハスキーの行方
シベリアンハスキーは、氷と風の国からやってきた犬です。
その名の通り、原産地はシベリア。極寒の大地で、人とともに生き、走り、荷を運ぶために育まれてきました。
単なる「美しい犬」ではなく、過酷な自然と協働してきた歴史を、その体と気質に刻んでいます。
体つきは中型で引き締まり、無駄がありません。
厚いダブルコート(下毛と上毛の二層構造)は、零下の世界でも体温を守るための知恵。
立った三角の耳、ふさりとした尾、そして印象的な瞳――氷のような青、深い茶、あるいは左右で色の違うオッドアイ。
その眼差しには、野性と知性が静かに同居しています。
性格は、意外なほど人懐こく、社交的です。警戒心が強い番犬タイプではなく、「仲間」として人を見る犬。
これは、集団でそりを引き、人と協力して生きてきた背景によるものです。
一方で、自立心が強く、命令に盲従するタイプではありません。
「なぜそれをするのか」を、自分なりに納得したい気質を持っています。
運動量は非常に多く、走ることが本能です。散歩だけでは足りず、自由に体を動かせる時間が必要になります。
退屈や運動不足は、遠吠えや脱走といった形で現れることもあります。
彼らにとって走ることは、娯楽であり、祈りであり、生の実感そのものなのです。
また、換毛期には大量の毛が抜けます。これは欠点というより、自然に適応した結果。日々の手入れは、人と犬が静かに向き合う時間にもなります。
シベリアンハスキーと暮らすということは、管理することではなく、対話することに近い。
彼らは、合理性よりもリズムを、効率よりも信頼を重んじます。
風の匂いを覚え、雪原を夢見るその魂を理解しようとするとき、人の側の生き方もまた、少しだけ原点へ引き戻されるのかもしれません。
この犬は、速さの象徴ではありません。
「ともに進む」という古い約束を、今も忘れずに生きている存在です。
日本でシベリアンハスキーをよく見かけた時代がありました。
それは偶然ではなく、いくつかの波が重なって生まれ、そして静かに引いていった現象です。
まず、流行のきっかけ。
1990年代前半、映画やテレビ、CMなどでハスキーが頻繁に登場しました。雪原を駆ける姿、澄んだ青い瞳、野性と気品を併せ持つ外見は、日本人の美意識に強く訴えました。「かっこいい犬」「賢そうな犬」というイメージが一気に広まり、ブームが生まれます。
けれど、流行はしばしば現実を置き去りにします。
シベリアンハスキーは、
・運動量が非常に多い
・暑さが苦手
・抜け毛が極端に多い
・自立心が強く、しつけに一貫性と忍耐が必要
という、日本の都市型生活と相性の悪い要素を多く持っています。
特に問題になったのが、
「見た目は優雅、でも暮らしは過酷」というギャップでした。
毎日十分に走らせる時間が取れない。夏の暑さで体調を崩す。遠吠えや脱走に悩まされる。
想像以上に“手がかかる”現実に直面し、飼育放棄や保護施設への持ち込みが社会問題化した時期もあります。
さらに、日本の住宅事情も影響しています。
集合住宅が多く、鳴き声や運動量に制限がある環境では、ハスキーの本能を満たすことが難しい。
結果として、「初心者向きではない犬種」という認識が広まり、ブームは急速に沈静化しました。
シベリアン・ハスキーの透明な澄んだ瞳に魅了されて、飼ってみたものの、躾もされていないので賢くないと判断されて見放された犬たちは今いったいどこにいったのだろうと、時折シベリアンハスキーのような瞳を持つ人に出会うとそう思う。







