惹かれている。
それでも、どうしても信じきれない。
言葉は巧みで、耳あたりはやさしい。けれど、行動が伴わない。決断の場面になると足元が揺らぎ、責任を引き受ける覚悟が見えてこない。
別れを決めたはずなのに、心が揺れる――そんな相談に対して立てられた卦が、雷地豫(らいちよ)・三爻であった。
雷地豫は、「喜び」「期待」「高揚感」を表す卦である。
心が弾み、未来に希望を描きやすいとき。恋愛においては特に、「一緒にいると楽しい」「可能性がありそうだ」という感情が前面に出やすい。
だが、この卦は無条件の幸福を約束するものではない。むしろ、気分の良さに流されやすい危うさを内包している。
三爻の爻辞は、厳しく、そして静かだ。
「石に盲ひ、豫することあり。悔ゆるなり。」
石とは、動かぬもの、確かな現実、事実そのものを象徴する。
「石に盲ひ」とは、目の前にある確かな現実を見ないふりをすること。
つまりこの爻は、楽しい気分や期待の中で、肝心な事実から目を逸らしてはいないかと問いかけている。
言葉はある。
しかし、行動がない。
優しさはある。
しかし、決断がない。
これらは感情ではなく、観察によって得られた事実である。
雷地豫三爻は、まさにその「事実」を見つめよと告げている。
さらにこの爻には、「遅速ありて、悔いあり」と続く。
これは、決断を遅らせても、急いでも、心の基準が曖昧であれば悔いが生じる、という意味だ。
重要なのはタイミングではなく、何を基準に決めるかなのである。
心が揺れるのは、間違った選択をしたからではない。
「豫」が示すように、そこに確かに楽しさや希望があったからだ。
人は、楽しかった記憶や、うまくいくかもしれない未来像に、簡単に心を引き戻される。
しかし、雷地豫三爻が示すのはこうした姿勢だ。
相手を責めない。
自分の判断を正当化しようとしない。
感情を無理に切り捨てようともしない。
ただ、静かに事実に立ち戻る。
「信じられなかった」
「信じられない相手と、人生を共にすることはできなかった」
それだけで十分なのだ。
雷は一瞬で鳴り、地は黙って受け止める。
高鳴る感情は雷のように心を揺らすが、最終的に人を支えるのは、静かで動かぬ大地である。
雷地豫三爻の位置にいる今は、高揚を地に下ろすときなのだろう。
この揺れは、未練ではない。
それは、軽やかな期待よりも、確かな信頼を選ぼうとする心の誠実さである。
そして、その誠実さこそが、次に訪れる本当の安らぎへの道を、静かに照らしていく。
心が静まるとき、人はようやく、自分を裏切らない選択をしたことに気づく。
雷地豫三爻は、その沈黙の時間を、焦らず大切にせよと告げている。