「人に興味ある?」と言われた日、私の役割が決まった
苦手は、だいたい役割になる。
最近になって、そう思うことが増えました。
学習塾で働いていた頃、
上司にこんなことを言われました。
「そもそも、人に興味ある?」
不意に投げられた一言でした。
その場ではうまく答えられませんでしたが、
帰り道にずっと頭から離れなかった。
そして、それまでの自分を振り返りました。
人がどう思っているのかより、
自分がどう見られているのかばかり
気にしていた気がする。
あのとき初めて、
自分は少し視線の向きが違うのかもしれない
と思いました。
正直に言えば、
それはあまり歓迎したい気づき
ではありませんでした。
もう少し自然に人に関心を持てる性格だったら、
生きやすかったのではないか。
そんなことも考えました。
ただ、その性質は変わりませんでした。
変えようとした時期もありましたが、
どこか無理をしている感覚が続いた。
だから途中から、
変えるよりも観察するほうに回ったのだと思います。
会話の流れ。
表情が少しだけ動く瞬間。
言葉と沈黙のあいだにあるもの。
輪の中にいると見えない細部が、
なぜか目に留まるようになりました。
当時は、それが役に立つとは
思っていませんでした。
占いを学び始めた頃も、
最初に知りたかったのは自分のことでした。
自分の人生はどういう流れで、
何が起きてきたのか。
ただそれを解き明かしたかった。
ところが少しずつ
よめるものが増えてくると、
この視点は他の人にも使えるのではないか
と思い始めました。
その頃からでしょうか。
私は相談を受ける側というより、
構造を読む側に立っているのだと
感じるようになったのは。
強く入り込むというより、
少し距離を置いた位置から全体を見る。
感情の波に飲まれるのではなく、
流れを探す。
この立ち方は、
昔なら短所だと思っていた性質の延長にありました。
今は
「好きなことに特化して生きるほうが楽だ」
そんな考え方が広がっています。
それはきっと一つの真理でしょう。
無理に不得意を埋め続けると、
人は疲れてしまう。
私もそうでした。
ただ最近は、
長所と短所はきれいに分かれていない
とも感じています。
慎重さは遅さになるし、
速さは粗さになる。
優しさは境界を曖昧にし、
冷静さは距離を生む。
同じ性質でも、
置かれる場所が変われば意味が変わる。
振り返ると、
できれば持っていたくなかった一面に、
あとになって助けられてきました。
だから思うのです。
苦手を好きになる必要はない。
でも、早い段階で
「これはいらない」と
決めてしまわなくてもいいのではないか。
まだ役割が見えていないだけで、
別の場所では静かに働くかもしれない。
人は案外、
自分を急いで評価しすぎます。
向いていない。
才能がない。
これは短所だ。
そうやって線を引いたあとで、
その性質が必要になる場面が訪れる。
そんなことが、ときどき起きます。
遠回りに見えた特徴が、
気づけば立ち位置を作っている。
役割とは、
どこかから与えられるものではなく、
持っている性質の上に、
あとから輪郭を持つものなのかもしれません。
苦手は、消えるわけではない。
ただ、置かれる場所が変わると、
静かに働き始めることがあります。
──────────────────────
言葉でも、声でも、対面でも──
その日のあなたに合う距離で。
そっと寄り添える場所として、
ここにあります。
──────────────────────
運勢・ブログ更新・待機スケジュールなど、
日々の動きをこちらでお知らせしています。
その日の気持ちを、そのまま置ける場所。
待機スケジュールはこちらから。
ご縁やタイミングが合ったときに、
対面でお話しする機会も設けています。
阿佐霧 峰麿の歩みと、これまでに書いてきた
文章の一部をご覧いただけます。
※各項目を押すとリンク先に移動できます。







