人は、戻る場所に導かれている
観終わったあと、しばらく放心状態でした。
カロリーが高すぎたのです。
内容だけではありません。
戦闘も、ライブも、映像も、作画も。
ずっと本気。
受け取る側のこちらだけが、
追いついていない。
久しぶりに、
作品に体力を持っていかれました。
Netflixで、ずっと観たかった
「超かぐや姫」を観ました。
でも、本当に圧倒されたのは
映像だけではありませんでした。
「縁」というものの強さです。
どれだけ時間が流れても。
どれだけ遠く離れても。
人は、ある場所に戻っていく。
この作品を観ながら、
そんなことをずっと考えていました。
なぜ戻るのか。
終わったはずなのに。
もう十分だと思っていたはずなのに。
それでも引き寄せられる。
もしかすると人は、
前の生で終えられなかった何かに、
もう一度触れに来ているのかもしれません。
そう思う瞬間があります。
未練、とは少し違う。
後悔だけでもない。
もっと熱に近いものです。
そのときに燃えていた情熱を、
忘れることができない。
出来事の細部は思い出せなくても、
あのとき確かに動いていた感情だけは、
なぜか体の奥に残っている。
情熱は、
記憶よりも長く残るのかもしれません。
だから人は戻る。
やり直すためというより、
やり切るために。
考えてみれば、
私自身の人生にも似た流れがあります。
避けたはずのテーマに、
気づけばもう一度触れている。
離れたと思っていた場所に、
形を変えて立っている。
以前ブログで、
人生には回収されるような出来事があるのではないか、
と書きました。
終わらなかったものは、
静かに人を呼び戻す。
それは罰のようなものではなく、
むしろ縁に近い。
回り道に見えていた時間さえ、
あとから振り返ると
一本の線になることがある。
人は、
自分の輪郭から外れて生きることができない
のかもしれません。
ここで、
もう一つ浮かんだことがあります。
短所と長所は、
本当に別々のものなのでしょうか。
かつて私は、自分のある性質を
どこか弱点のように感じていました。
できれば持っていたくない。
できれば気づきたくもなかった。
でも振り返ると、
その感覚があったからこそ
いまの場所に立っています。
避けたかったものが、
いつのまにか役割に変わっていました。
好きなことと苦手なことは、
反対側にあるわけではないのかもしれません。
同じ根から、
別の向きに伸びているだけ。
そう考えると、
「魂に沿う」という言葉も、
特別な響きではなくなります。
強く望んだから進む、
というより、
離れようとしても離れきれない。
気づけば、またそこに立っている。
早く気づく人もいます。
遠回りする人もいます。
正解だったのか、
いまでも分からないまま
歩いている人もいるでしょう。
それでも人は戻ります。
理由をうまく言葉にできなくても、
体の奥に残っている感覚がある。
抗おうとしても消えない、
静かな熱です。
観終わってからも、
まだ余韻の中にいます。
もしかすると人生とは、
与えられた魂の方向へ戻っていく運動
なのかもしれません。
逆らわず、誇張せず、
ただ静かに引き寄せられていく。
縁とは、
きっとそういう力のことを
言うのでしょう。
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