生きた作品は、矛盾から生まれる
最近、思うことがあります。
生きている、と感じる作品には、
どこかに矛盾があります。
強いのに弱い。
優しいのに残酷。
前へ進んでいるのに、
どこかで立ち止まっている。
整いすぎた物語は、
美しいのかもしれません。
でも、なぜか心の奥までは届かない。
人間そのものが、
整っていないからでしょう。
日本のアニメが、
なぜここまで独自の文化になったのか。
世界で評価される理由は
どこにあるのか。
考えても、
はっきりした答えは出ません。
ただ、この国には昔から、
物事を一方向で決めきらない感覚が流れている
ように感じます。
光だけを置かない。
影も消さない。
どちらかを切り捨てず、
並べたままにしておく。
善か悪か。
強いか弱いか。
そう簡単に線を引かない。
古い物語を読んでいても、
どこか似た気配があります。
異なる価値観が混ざり合いながら
続いてきた時間。
長く積み重なったその土壌が、
表現の自由さにつながっている。
そんな気もしています。
矛盾を排除した瞬間、
物語はどこかで呼吸を止める。
均整が取れすぎた世界では、
人は自分を重ねられないのかもしれません。
そしてこれは、
文化だけの話ではないのでしょう。
人もまた、矛盾しています。
こうありたいと思う自分と、
そうできない自分。
手放したはずなのに、
なぜか戻ってしまう場所。
忘れたつもりでも、
体の奥に残っている感情。
以前、
人生には回収されるような出来事が
あるのではないか、と書きました。
終わらなかったものは、
静かにこちらを呼び戻す。
それは弱さというより、
輪郭に近いものなのだと思います。
占いをしていると、
ときどき感じることがあります。
人は、欠けている部分によって
形づくられているのではないか、と。
短所だと思っていた性質が、
あとになって役割へ変わる。
避けたかった感覚が、
誰かを理解する入口になる。
長所と短所は、
反対側にあるわけではないのでしょう。
一本の線の、見る向きが違うだけ。
押し出されるように
表に出る性質もあれば、
できれば触れずにいたい性質もある。
でも、そのどちらもが、
その人の輪郭をつくっていく。
本当に不思議なのは、
人が進路を選んでいるようでいて、
どこかで選ばれているようにも
感じるところです。
離れたつもりでも、
また関わっている。
避けたはずなのに、
形を変えて目の前に現れる。
望んでいたかどうかより、
結果としてそこに立っている。
整った強さだけでは、
人は厚みを持ちません。
迷いながら進んだ時間。
割り切れなかった記憶。
うまく説明できない衝動。
そういう少し不格好なものが重なって、
ようやく立体になる。
作品がそうであるように。
整いすぎないこと。
割り切れない部分を残しておくこと。
そこに、
生きている手触りが宿るのでしょう。
生きた作品は、矛盾から生まれる。
そしてきっと、人も同じです。
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