あぐり
「節を守る人が損をする職場に、いつまで居るべきか ― 易経・水沢節 上爻」
「私はみなさんの後でいいの」と言いながら、誰よりも先を争って客を奪う同僚がいます。職場もそのような人間を放置しているので、もう退職した方がいいと考えていますが、どうしたらいいですか?易を立てたところ、水沢節 上爻 。
職場という場所は、本来、一定の秩序と礼節によって保たれています。
順番を守ること、互いに配慮すること、暗黙の了解を尊重すること。こうした目に見えない約束事があるからこそ、人は安心して仕事に取り組むことができるのです。
しかし現実には、その秩序が崩れてしまう職場も存在します。
表向きは「どうぞお先に」と言いながら、実際には誰よりも先に客を奪いにいく。周囲もそれを見ていながら黙認している。そうした状況に置かれたとき、人は深い違和感と疲労を覚えるものです。
このような問いに対して易を立てたところ、現れたのは「水沢節(すいたくせつ)」の上爻でした。
「節」という字は、もともと竹の節を意味します。
竹は節があるからこそ真っ直ぐに伸び、強風にも耐えることができます。もし節がなければ、ただ柔らかいだけの草になり、強い風に折れてしまうでしょう。
易において「節」とは、まさにこの竹の節のように、人が守るべき境界や節度を表します。
行き過ぎず、欲に流されず、秩序を保つこと。社会が円滑に動くためには、この節度が不可欠なのです。
ところが上爻に至ると、その意味合いは少し変わります。
上爻の辞には次のように記されています。
「苦節、貞にして凶。悔いなし。」
これは、苦しい節制を守り続けるならば凶である。しかし後悔はない、という意味です。
一見すると不思議な言葉です。
正しいことを守っているのに、なぜ凶なのでしょうか。
ここで易が示しているのは、「環境そのものがすでに節を失っている」という状態です。
本来守られるべき秩序が崩れ、礼節を守る人が損をする。そうした場所では、節を守り続けること自体が苦しい努力になってしまいます。
つまり「苦節」とは、節度を守る人が不利になる状況のことです。
たとえば、順番を守ろうとする人が損をし、抜け駆けする人が得をする。
礼儀を重んじる人が遠慮している間に、ずる賢い人が利益を奪っていく。
しかも、その状態を職場が放置している。
このような環境では、秩序そのものが壊れていると言えるでしょう。
易は、こうしたとき無理に戦うことを勧めません。
なぜなら、節が失われた場所では、正しい行動が評価される土壌がないからです。
上爻は、その状況がすでに極点に達していることを示しています。
つまり、これ以上同じ場所で耐え続けることは難しいという段階です。
ここで易が示す一つの選択は、「節を守るために、その場を離れる」ということです。
離れるという行為は、必ずしも勝利とは言えないかもしれません。
転職や環境の変化には、不安やリスクも伴います。
だからこそ易は、「凶。しかし悔いなし」と言うのです。
目先では損をすることがあるかもしれない。
けれども、自分の節を守ったという事実は残ります。
それは人の品格として、確実に積み重なっていくものです。
易が大切にしているのは、勝ち負けではありません。
守るべき節を守り続けること。
それによって人は自分の芯を保つことができるのです。
さらに言えば、節を失った組織は長く続きません。
秩序のない集団は、やがて内部から崩れていきます。
短期的には抜け駆けする人が得をしているように見えても、その状態が長く続くことは少ないのです。
竹が節によってまっすぐ伸びるように、人の人生にもまた節が必要です。
どこまで耐えるのか、どこで線を引くのか。
その境界を知ることが、実は最も大切な知恵なのかもしれません。
水沢節の上爻は、静かにこう語りかけているように思えます。
節を守るために、節のない場所から離れる。
それは敗北ではなく、自分の品格を守る選択なのだと。







