《冬月 希和》「ごめんなさい」とちゃんと言えるでしょうか?

どんな小さな事にも「ありがとう」と言える人は素敵である。
別れ際に。電話の後に。そして
アカの他人のサービス業の方にはもちろん、
映画館で無言でチケットをもぎるスタッフにありがとうと言う友人がいた。
黙って受け取った自分が恥ずかしくなった。
では「ごめんなさい」はどうだろう。
親に叱られる事が少なかったからなのか、ごめんなさいがキチンと言えないの。
という知り合いは
あなたはいい子ね、と言われいつも自分が正しいと思いながら育ってしまったため、
「ごめんなさい」をキチンと言うチャンスに恵まれなかったのかもと言っていた。
人が今迄生きてきた環境の中に「ごめんなさい」を言わなければならない場面がどれだけあったかで、大人になった時にスムーズにその言葉が言えるのか決まるのだと何となく感じた。
甘やかされ過ぎると、ありがとうは言えたとしても
「ごめんなさい」がどうしても、スムーズに言えない人になるのかもしれない。
「ありがとう」と「ごめんなさい」の2つのシンプルでも大切な言葉。
キチンと言えた方が幸せになれるはず。
自分は
自分自身はキチンと言える人なのか。
改めて見つめ直したいと思った。