本当の愛は一つだぜ!
こんにちは、忍野叶眞です。
先日、私は一人の人と話をしていました。
その会話の中で、その人はこう言ったんです。
「人それぞれに愛があるんじゃない?」
私は、その言葉を聞いて、少し残念な気持ちになりました。
愛に多様性がある?
舐めんな。
私は、そう思ったんです。
好きな人への接し方も違えば、
大切な人との距離感も違う。
言葉で愛情を伝える人もいれば、
何も言わずにそばにいる人もいる。
そういう意味での「愛の形」が人それぞれだという話なら、
私は何も否定しません。
でも、
「私はこれが愛だと思うから」
と、自分に都合のいいものまで愛と呼んでしまう。
それをもっともらしい顔で語ってしまう。
私は、そこに違和感を覚えるんです。
愛って、そんなに自分に都合のいいものなんでしょうか?
自分が好きだから。
自分が寂しいから。
自分が一緒にいたいから。
自分が傷つきたくないから。
自分が相手を必要としているから。
それを全部「愛」と呼んでしまっていいんでしょうか。
私は違うと思います。
本当の愛は、そんなに身勝手なものじゃない。
私は、愛の根っこにあるものは一つだと思っています。
それは、
「相手に寄り添う心」です。
相手が嬉しいときに、一緒に喜ぶ。
相手が苦しいときに、その苦しさに寄り添う。
自分には理解できないことでも、
「自分には関係ない」と切り捨てるのではなく、
少しでも相手の気持ちを理解しようとする。
自分の思い通りに相手を動かそうとするのではなく、
相手には相手の人生があることを受け入れる。
それが愛なんじゃないでしょうか。
愛の形や表現は、
確かに人によって違って見えるものです。
でも、その根っこにあるものまで違っていいとは、
私は思いません。
もちろん、人間ですから、
いつでも相手のことを考えられるわけではありません。
腹が立つこともある。
嫉妬することもある。
自分のことばかり考えてしまうこともある。
それでいいんです。
完璧な人間なんていません。
でも、そこで終わってしまうのではなく、
「この人は今、何を感じているんだろう?」
と考えようとする。
その気持ちがあるかどうか。
私は、そこが大切なんだと思います。
愛という言葉を使えば、
何をしても許されるわけではありません。
相手を束縛して、
「好きだから」
と言えば愛になるわけでもない。
相手の自由を奪って、
「心配だから」
と言えば愛になるわけでもない。
相手を傷つけておきながら、
「これも私なりの愛だから」
と言えば、それで正当化されるわけでもない。
それは愛ではなく、
ただ自分の気持ちを相手に押しつけているだけです。
愛とエゴ。
混ぜるな危険です。
自分が満たされたい。
自分が安心したい。
自分が捨てられたくない。
自分が傷つきたくない。
自分を愛してほしい。
もちろん、そういう気持ちを持つこと自体が悪いわけではありません。
人間なんだから、当然です。
でも、それを「愛」という言葉で包んでしまうと、
自分の欲望と愛の区別がつかなくなってしまう。
そして私は、
「上っ面の愛なんて要らねえよ」
って、みんな本当は思っているんじゃないかと思うんです。
口では「大切だよ」と言いながら、
自分の都合が悪くなれば離れていく。
「あなたのため」と言いながら、
実際には自分の思い通りにしようとしている。
「愛している」と言いながら、
相手の気持ちには興味がない。
そんなものを愛と呼んでしまったら、
愛された側だって、
「私は本当に愛されているんだろうか?」
と分からなくなります。
愛が迷子になってませんか?
私は、そう思うんです。
そして、もう一つ気になることがあります。
「私は誰からも愛されていない」
「誰も私を大切にしてくれない」
「私はこんなに愛しているのに、どうして愛してくれないの?」
そんなふうに、
「愛されていない」と叫び続ける人もいます。
もちろん、本当に愛されずに苦しんでいる人もいるでしょう。
でも、一度考えてみてほしい。
あなたは、相手を愛そうとしているでしょうか?
自分が愛されることばかり求めていないでしょうか?
自分を理解してほしい。
自分を大切にしてほしい。
自分を優先してほしい。
自分を傷つけないでほしい。
そんな「自分がどうしてほしいか」ばかりになっていないでしょうか。
愛は、
「私を愛して!」
と相手に要求することだけではありません。
相手を見ようとすることです。
相手の気持ちを考えようとすることです。
相手の人生を尊重することです。
自分が理解されることばかり求めるのではなく、
自分から相手を理解しようとすることです。
そこを忘れてしまったら、
いつまで経っても「愛されていない」という不満だけが残ります。
だから私は、
「愛は人それぞれ」
という言葉を簡単には受け入れたくありません。
愛の「表現」は人それぞれでいい。
でも、その根っこまで人それぞれにしてしまったら、
何でも愛と呼べるようになってしまう。
それでは、
愛という言葉そのものが軽くなってしまう。
言葉を大事に愛してください。
私はそう言いたい。
だから、
本当の愛は一つだぜ。
それは、
相手に寄り添う心だ。
相手の気持ちを完全に理解できなくてもいい。
相手と同じ人間になる必要もない。
ただ、
「あなたはどう感じているんだろう」
と考える。
「あなたにとって、これはどういうことなんだろう」
と想像する。
そして、
相手の人生を尊重する。
その心がある限り、
愛の形がどれだけ違っていても、
その根っこには同じものがある。
私は、それが愛だと思っています。
いくら世の中が、
「愛の形は人それぞれ」
と言ったところで、
私は、愛という言葉まで人それぞれにしてしまってはいけないと思う。
一度、辞書で「愛」という言葉の意味を調べてみてください。
そこにあるのは、
特定の人や物を深く大切に思う心。
いつくしむ心。
そして、広く相手を思いやる心です。
少なくとも、
「自分の欲望を満たすこと」
とは書かれていません。
恋愛だけじゃありません。
親子でも、
友人でも、
仕事仲間でも、
人と人が関わるところには、
いつだって「寄り添う」ということが必要になります。
自分の正しさを証明することより、
相手の気持ちを考えること。
自分が理解されることばかり求めるのではなく、
相手を理解しようとすること。
それができる人間でありたい。
そして、
そんな人間が増えてくれたらいいなと思っています。
愛は、難しいものじゃない。
もしかしたら私たちは、
難しく考えすぎているだけなのかもしれません。
何でもかんでも受け入れればOKじゃない。
自分の欲望を「愛」という言葉で正当化することでもない。
相手を縛ることでもない。
相手を自分の所有物にすることでもない。
まして、
「私は愛されていない!」
と叫び続けることだけでもありません。
愛するということは、相手を見ることです。
自分ではなく、
もう一人の人間がそこにいることを忘れないことです。
そして、
その人にも、
その人の人生があることを尊重することです。
もしそれを知らないまま、
自分が満たされることだけを「愛」だと思って生きてしまったら、
それは、とても寂しい人生なんじゃないでしょうか。
本当の愛を知らないまま死んでいくなんて、なんて不幸なんでしょう。
幸せを探して生きてるのにねぇ。
せっかく人間として生まれて、
誰かを好きになったり、
誰かを大切に思ったり、
誰かと一緒に生きたりできるのに、
最後まで「愛されること」だけを求め続ける。
そんな人生では、
愛の本当の意味に一度も触れないまま終わってしまうかもしれません。
せっかく地球に生まれてきたのに
それはあまりにももったいないと思うんです。
誰かの幸せを、
自分のことのように願える。
そんなふうに誰かを大切にできたとき、
もしかしたら、
私たちは初めて、
幸せというものの正体に
触れることができるのかもしれません。
愛という言葉もきちんと愛してください。
愛という言葉は、これまで数え切れないほどのミュージシャンが歌い、
数え切れないほどの人が語ってきた、
とても大切な言葉です。
だからこそ、
その言葉を、自分に都合のいい意味に変えてしまわないでほしい。
愛の意味を知ることで
幸せというものの正体が、見えてくるんじゃないでしょうか。
だから私は、
愛溢れる人間でありたいと思っています。
そして、
そんな考えができる人が一人でも増えてくれたら、
この世の中は、
今より少しだけ優しくなるんじゃないでしょうか。
本当の愛は一つだぜ。
私はそんなふうに思っています。
……とはいえ最後まで熱く語っちゃいましたね。
クサくてごめんね。
にんにん