星 叶夢
星 叶夢(ほし かなむ)
ほしよみ堂大阪梅田店所属
私は、どうしたらええの?⑪ ~娘よ、お前もか(後)~
子供は、親の背中を見て育つと言います。
娘は、手のかからない子供でした。
特別、あれが欲しい、これが欲しいと言う子でもなかったように思います。
ただ、周りから見ると、
「ワガママな子」
に見えることもあったようです。
私は娘を、
「自分の意思を言える子」
に育てたいと思っていました。
なぜなら、
私自身が言えなかったからです。
嫌なことも、しんどいことも、
「私は大丈夫。」
そうやって生きてきた私とは、違ってほしかった。
でも、
自己主張とワガママ。
その違いって、何なのでしょうね。
夫は、「こうしたい」と思ったら突き進む人です。
そして、可能なことはほとんど実現させてきました。
男の子が欲しかった夫は、娘を男の子のように育てました。
パンチの仕方まで教えて(笑)
実際、娘はたくましく育ち、男の子を殴って泣かせたこともあります。
弟二人は、子分のようなもの。
今でも姉を恐れているくらいです(笑)
父も強い。
娘も強い。
そして、
私も気は強い(笑)
そんな父と娘が、
「吹奏楽」
という同じ目標を持ったのです。
そりゃあ、強い。
二人で8年連続皆勤賞を狙っていました。
ところが、娘が小学5年生の頃。
風邪をこじらせて気管支炎を起こし、入院することになりました。
その時、夫が言ったのです。
「入院しなあかんのか?」
娘の身体を心配して出た言葉ではありませんでした。
練習を休めば、皆勤賞がパーになる。
それが惜しかったのです。
「見学だけでも、練習に参加できないか。」
そんなことまで言い出しました。
一番悔しいのは、娘だったはずです。
ずっと休まず頑張ってきたのですから。
そして、
その時の夫の言葉で娘は傷つきました。
「お父さんは、私が吹奏楽をやっているから……。」
小学5年生。
多感な時期です。
娘は、その気持ちを心の奥にしまったようでした。
中学生になった頃から、少しずつ娘が変わっていきました。
学校でも吹奏楽部に入りましたが、
「態度が生意気。」
顧問の先生と揉めて、退部。
この頃、
自分の楽器を購入する話も出ましたが、レッスン先の先生から、
「今は借りている楽器で大丈夫。」
と言われ、購入は見送りました。
学校の吹奏楽部は辞めても、個人レッスンは継続。
8年連続皆勤賞は逃しましたが、卒業まで吹奏楽を続けました。
そして高校受験。
娘が選んだのは、私立高校。
音大受験を視野に入れて、音楽史なども学べる学校でした。
でも娘にとっては、制服がブランドデザイナーのものだったことも魅力だったようです。
そして何より、
受験勉強したくない。
それが丸出し(笑)
私はというと、
お金……。どうしよう。
当時、私は医療事務の仕事をしていました。
少し特殊な仕事で、働くのは月末月初の7〜10日ほど。
資格も取り、
「これは天職かもしれない。」
そう思うほど好きな仕事でした。
でも、お金が必要です。
私は、さらに就職しました。
二足の草鞋です。
そして、その初任給で娘のトランペットを買いました。
30万円。キャッシュです。
景気のいい話ではありません。
ローンを組めない状況だったからです(笑)
夫は、
「トランペットで良かった。
他の楽器なら、もっと高かったで」
……って、
トランペットで良かった?
アンタのギターは、幾らかかってんねん!
ボヤキも出ます(笑)
それでも、これで娘の楽器も揃い目指せ音大!
「技術は、大丈夫だから、勉強頑張ろう」
レッスンをしてくださった先生からも励まされ、応援していました。
高校生になった娘は、初めて恋をしました。
そして、
「アルバイトをしたい。」
と言い出しました。
私は、そのアルバイト先が怪しいと感じ、大反対。
理由を説明しても、娘は聞く耳を持ちません。
高校2年生。
修学旅行は海外でした。
どこへ行ったのか?
覚えていません。
なぜなら、その直後――
娘が家出したからです。
行った先は、
私が反対していたアルバイト先の社長のところ。
そして娘は、
学校まで辞めてしまいました。
後になって、娘は言いました。
「お父さんは、吹奏楽をしている私にしか興味がないと思った。」
……。
傷ついていたのは理解できるけど
なんで今になって?
どれだけお金を使ったと思うの?
言いたくない。
言いたくないけれど――
娘よ、お前もか……。
ほしよみ堂大阪梅田店 星 叶夢






