茶灯ぼたん
いつまでもあると思っていた日常にも、期限がある
最近、「期限」について考えることが何度かありました。
息子と過ごせる期限。
そして、命の期限。
今回は、息子と過ごせる時間について書いてみようと思います。
息子は高校2年生。
ついこの前まで小学生だった気がするのに、ちょっと前に高校へ入学したと思っていたのに、もう高校2年生。
来年は大学受験です。
大学へ進学すれば、家を出ることになるだろう。
そんなことは、ずいぶん前から分かっていました。
その覚悟もできているつもりでした。
息子がスポーツの遠征で数日家に帰らなかったときも。
息子に彼女ができたときも。
不思議なくらい、寂しさはありませんでした。
わんこ達がいるからなのかもしれません。
息子が家を出ることになっても、わんこ達がいるから大丈夫‼︎
そんな自信さえありました。
ところが、先日。
息子が大学や企業への訪問で県外に行くことになり、数日間、家を空けることになりました。
そのとき、突然、寂しさが襲ってきたのです。
息子がいつも使っている食器やコップを見ると、
「これも、もうすぐ使わなくなるんだ……」
息子のいない部屋を見ると、
「この部屋も、もうすぐ使われなくなるんだ……」
いつも当たり前にそこにあったものが、急に違うものに見えてきました。
私は、息子が家を出ることを頭では分かっていたつもりでした。
でも、終わりを意識して、実際に息子がいない時間を過ごしてみて、初めてその現実を実感したのだと思います。
そして、ふと思いました。
自分の親も、こんな気持ちだったのだろうか。
私が家を出ていくとき、親がこんな思いでいるなんて、考えもしませんでした。
自分が子どもの立場だったときには、親の気持ちに気づけなかったんですよね。
私がそうだったように、息子は大学進学を機に家を出たら、もうこの家に住むことはないのかもしれません。
そう考えると、息子とこの家で一緒に暮らせる時間は、あと1年ちょっと。
そう、期限があるのです。
先日、ちょっとしたことで息子と言い合いになりました。
久しぶりに腹が立って、
「しばらくご飯も作らない! お弁当も作ってやるものか‼︎」
そんな気持ちになりました。
でも、すぐに別の思いが浮かんできたのです。
「こんなことで喧嘩をしている時間はない」
「息子にご飯やお弁当を作ってあげられるのも、そんなに長くはないのに。こんなことで作らないなんて、もったいない」
そう思ったら、怒っていることよりも、残された時間のほうが大切に思えてきました。
息子が学校から帰ってくると、私はまず謝りました。
そして、息子と話をしました。
一緒にいられる時間は、そう長くないこと。
だからこそ、1日1日を大切にしたいこと。
出かけるときなど、離れるときには、もしそれが最後になったとしても後悔しないように、気持ちよく別れたいこと。
そんな話をしました。
息子は、うなずきながら聞いてくれました。
それからは、家を出るときに、きちんと私の顔を見て、
「行ってきます」
と言ってくれるようになりました。
たったそれだけのことかもしれません。
でも、私にとっては、とても大きな変化でした。
何気ない「行ってきます」。
毎日作るご飯やお弁当。
いつもそこにある息子の食器。
そんな当たり前の日常も、いつかは当たり前ではなくなる。
人は、終わりを意識しないと、期限があることをなかなか実感できないものなのかもしれません。
いつまでも続くと思っているから、何も考えずに過ごしてしまう。
でも、本当は、何にでも終わりがあります。
親子で一緒に暮らせる時間も。
誰かと過ごす時間も。
そして、自分の命も。
いつか終わりが来ると分かっているのに、私たちはつい、そのことを忘れてしまいます。
もし今、当たり前だと思って過ごしている日常が、あと少ししか残されていないとしたら。
あなたは、今と同じように過ごしますか?
少しだけ、誰かに優しくなれるかもしれない。
腹が立っても、言い過ぎる前に立ち止まれるかもしれない。
何気ない会話や、一緒に食べるご飯を、もっと大切に思えるかもしれない。
終わりを考えることは、寂しいことばかりではないのだと思います。
残された時間を意識することで、今ある幸せや、大切なものに気づけることもある。
いつまでもあると思っていた日常。
その日常にも、期限がある。
あなたも一度、身近な大切なものについて、考えてみませんか?
次回は、「命の期限」について書いてみようと思います。
茶灯 ぼたん
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