〈阿佐霧峰麿〉痛みを抱えたまま生きる──出口のない日々が“構造”を求めさせた
痛みを言葉にしたことで、
私はようやく自分の心が
どこで摩耗しているのかを
少し掴めるようになった。
しかし、言葉にできたからといって、
日常が急に優しくなるわけではない。
通勤は往復2時間半。
睡眠は5時間を下回る日が続き、
身体は慢性的に疲れ切っていた。
それだけでも十分に負荷は大きいのに、
私が置かれていたのは
“フリー”という立場だった。
運送業は体力だけではなく、
神経をすり減らす仕事だ。
固定ルートなら、
身体の使い方も道順も半自動化されていく。
筋肉も判断も
“慣れ”という節約モードに入り、
リズムさえ掴めば
ある程度は体が勝手に動いてくれる。
けれどフリーは違う。
毎日、初めて走る道。
初めての顧客。
初めての納品ルール。
その土地特有の交通の“癖”すら
読み直す必要がある。
身体は疲れる。
だが本当に重いのは、
頭がずっとフル回転し続ける疲労
のほうだった。
その緊張の積み重ねが、
心のエネルギーをゆっくり、
しかし確実に奪っていった。
そんな環境の中で、
私を最も追い詰めていた本質は別にあった。
寄りかかれないことだった。
正確には──
寄りかかるという回路が、
元々自分の中に存在していなかった。
私は四人の弟妹を抱える長男として育ち、
父の不在が多い家庭で、
母の愚痴や不安を
受け止める役を自然と担っていた。
「聞く側」「耐える側」「支える側」。
その役割が当たり前になり、
弱さを預ける方法を覚えないまま
大人になった。
だから、心が削れていても、
誰かへ寄りかかるという発想が浮かばない。
寄りかかれないのではなく、
寄りかかるという選択肢
そのものが思い浮かばない。
痛みを言葉にしても、
その先の「どうすればいい?」
が見えなかった。
言葉は痛みの正体を照らす。
しかし“向かうべき方向”
までは教えてくれない。
私は人生のハンドルを握り直すための、
言葉とは別の“地図”を必要としていた。
そんなある日、ふと気づいた。
「痛みは理解できた。でも、この先の方向が分からない」
この瞬間、私は初めて
“構造”というものを求め始めた。
外に頼れないなら、
自分で未来を読める仕組みが必要になる。
その思考は、幼い頃から続く
“自力で立つ癖”の延長線上にあった。
こうして私は、生年月日だけの簡易的な占いを
独学で学び始めた。
占いに偏見はあった。
「占いに行くのは女性」
「迷った人が頼るもの」
そんな固定観念を持っていたから、
誰かの元へ相談に行くという選択肢は
最初からなかった。
ただ──
「頼れないなら、自分で読めばいい」
その一点だけで、私は本を手に取った。
独学で自分の“流れ”
を見える化していくと、
言葉だけではつかめなかった未来の輪郭が、
少しずつ形を持ちはじめた。
痛みが消えたわけではない。
仕事も生活も変わらない。
それでも、
不思議と息がしやすくなった。
“方向”が見えるだけで、
人は前へ進めるようになる。
痛みを言葉にし、
そして構造で未来を照らすとき、
止まっていた時間は静かに動き始める。
あの日の私の中でも、
その変化はすでに始まっていた。
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言葉でも、声でも、対面でも──
その日のあなたに合う距離で。
そっと寄り添える場所として、
ここにいます。
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