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あぐり

ウクライナ国立歌劇場の「運命&第九」――人間としての誇りと尊厳を奏でる

毎年、冬の気配が深まる頃、ウクライナ国立歌劇場は日本にやって来て、「第九」の演奏会をひらく。
それは、単なる年中行事とは思えない。戦争という時代の試練の中で、それでも音楽に全身全霊を捧げるという静かな決意を感じさせる。

私がこの楽団の第九を初めて聴いたのは、2022年の暮れだった。
その年の二月、すでにウクライナはロシアとの戦争状態に。ニュースは連日、破壊された街や逃げ惑う人々の姿を映し出し、戦争は遠い国の出来事ではなく、確かな現実となっていた。

この歌劇場について、私が知っていたのは主にオペラとバレエでの華やかな舞台である。
交響曲、とりわけ第九のような巨大な精神的建築物を、彼らがどう奏でるのか。期待と同時に、どこかで身構える気持ちもあった。

舞台を見渡して、まず違和感に気づいた。
合唱団の人数が、いつもの半分にも満たない。通常なら百人ほどがオーケストラの背後に隙間なく並ぶはずのところ、そこには一人ひとりの間に、さらに二人ほど入り込めそうな空白があった。
おそらくオペラの団員たちが合唱を担っているのだろう。
正直に言えば、これで大丈夫なのだろうか、という不安がよぎった。

しかし、その不安は第四楽章の冒頭で、静かに、そして完全に消え去った。
合唱が立ち上がった瞬間、音楽は量ではなく、密度で迫ってきた。
一人ひとりの声が、切実さを帯び、言葉のひとつひとつが祈りのように響く。
気がつけば、涙が止まらなくなっていた。感動という言葉では足りない。あれは、人が人として誇りを持って生きる姿そのもの。

歌劇場の団員たちが、具体的にどのような困難に直面しているのか――それは想像に余りある。
日常は分断され、家族や仲間と引き裂かれ、いつ戻れるかわからない故郷を胸に抱えている者も少なくないだろう。
だが、それ以上に強く伝わってきたのは、「第九」を演奏するという彼ら自身の選択である。

困難な中にあって「歓喜の歌」を歌うこと。
人類の普遍的な尊厳を、高らかに掲げること。
それは逃避でも、現実否認でもない。
むしろ、どのような状況にあっても、人間は人間であることをやめない、という宣言だった。

かつてベートーベンもまた全ての聴覚を失うという絶望のどん底にありながら、創り上げた「第九」

彼らの「第九」はまさにベートーベンの魂に通底するものがあったのだ。

2022年以来、今年で四回目となる第九の演奏会。
そこに「運命」も合わせて上演される。
抗えぬ力に翻弄されながらも、それを超えようとする意志――この二つの作品が並ぶ意味を、彼らほど切実に体現できる存在はいないだろう。

戦争は今も続き、出口は見えない。
政治的には、いずれウクライナの敗北という形で決着がつくのかもしれない。
しかし、それによって彼らの魂が傷つくことはない。
人間の尊厳を守り抜くという意味において、彼らはすでに勝利している。

ウクライナ国立歌劇場の演奏は、私たちに問いかける。
困難の只中で、あなたは何を選ぶのか。
沈黙か、それとも声か。
諦めか、それとも歓喜か。

その問いは、音楽となって、今も静かに胸の奥で鳴り続けている。

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