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あぐり

ネイティブアメリカンとオウルカフェ

19世紀から20世紀初頭にかけて、北米南西部の乾いた大地と険しい山岳地帯を舞台に、白人との戦いの只中を生きた一人のネイティブアメリカンがいた。
彼は、ジェロニモと呼ばれた。

生まれは1829年頃。現在のアリゾナ州やニューメキシコ州周辺に暮らしていた、ベドンコヘ・アパッチの一族に生を受けたとされる。
本名はゴヤスレイ。「あくびをする人」という、なんだか茶目っ気のある名である。

ネイティブアメリカンの世界において、名は単なる記号ではない。それは魂と深く結びつく、きわめて神聖なものだ。ゆえに本名は家族やごく近しい者にしか明かされず、人生の節目や役割の変化に応じて名を変えることも珍しくない。「ジェロニモ」という呼び名も、外の世界――彼らとは異なる価値観を持つ人々が、便宜のために与えた名に過ぎなかったのかもしれない。

彼の人生を決定づけた出来事として、メキシコ軍の襲撃によって母や妻子を失った悲劇が語られることが多い。だが、私的な復讐心だけで、共同体の支持を集めることができるほど、ネイティブアメリカンの社会は単純ではない。
彼が人々の信頼を集めた理由は、怒りの激しさではなく、彼の生き方そのものにあったのではないか。

連綿と連なる山脈、果てしなく広がる大地。
そこには精霊が宿り、祖先の声が風に混じって響いている――ネイティブアメリカンの世界観は、自然と人とを分かたない。ジェロニモは戦士であると同時に、シャーマンであり、メディスンマンでもあったと伝えられている。

彼らの社会には、ヨーロッパ的な意味での絶対的権力者としての「酋長」は存在しない。共同体は合議と信頼によって成り立ち、導く者は命令する者ではなく、示す者である。ジェロニモは「司令官」ではなかった。行動力と霊力、その一致によって、人々の心を自然と引き寄せていたのだろう。

彼は儀式を司り、ヴィジョン・クエストと呼ばれる祈祷を通じて啓示を受け、病を癒し、戦いの前には聖霊の加護を求めた。夜襲や奇襲を中心としたゲリラ戦において、彼が確信していたのは「勇気は策略に勝る」という一点だったという。
ネイティブアメリカン最大級のシャーマンが、最後に拠り所としたのは、武器でも戦術でもなく、人間の内奥に宿る「勇気」だった。

やがて彼は投降し、晩年には見せ物のように扱われながら、生涯を閉じたとされる。勝者の歴史において、敗者はしばしば象徴へと変えられる。そのとき、人間の声は削がれ、沈黙だけが残る。

ネイティブアメリカンの聖地に建つ「オウルカフェ」というレストランの話が伝えられている。
その聖地はやがてアメリカ軍の施設となり、人類史上初の原子爆弾実験が行われた場所になったという。

カフェを営んでいた母親は、その実験によって視力を失い、息子もまた片方の耳に障害を負った――そんな話が残されている。
都市伝説だと片づけられることもある物語だ。だが、たとえ伝説であったとしても、なぜこの物語が生まれ、語り継がれてきたのか。その問いを無視することはできない。

聖なる土地が、最も破壊的な実験の場へと変えられたとき、そこに宿っていた声はどこへ行ったのか。
ジェロニモの勇気、名を秘める文化、精霊と共に生きるという感覚――それらが失われたあとに残された空白こそが、この物語を生んだのではないだろうか。

歴史は勝者の言葉で書かれる。
だが、大地はすべてを記憶している。
風は、今もなお、名を呼ばれなかった者たちの声を運び続けている。

そして私たちは、その声に、耳を澄ますことができる存在なのか。
それを問い続けること自体が、ジェロニモという人間が、時代を超えて私たちに残した、静かな試練なのかもしれない。

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