みねまろ会議5|考えているつもりで、何も考えていなかった話
前回、
自分の人生のことなのに、
答えを他人に渡してしまう感覚
について書いた。
そして最近、
「どうすればいいですか?」
という言葉が、
口から出てこなくなった。
その前に、
「自分はどうしたいのか?」
そう問い直すと、
さっきまで喉の奥にあった言葉が、
そのまま引っ込んでしまう。
答えが出たわけじゃない。
むしろ、何も分からないままだ。
ただ、
その状態を前にして、
ひとつ気になったことがある。
私はこれまで、
本当に「考えて」いたのだろうか。
悩んでいた時間は長かった。
頭の中は忙しく、
同じテーマが何度も浮かんでは消えていた。
不安もあったし、
真剣でもあった。
それなのに、
何ひとつ決まっていなかった。
もしあれが
「考えている」時間だったなら、
何か一つくらい、
削られていてもおかしくない。
そう思ったとき、
少し嫌な可能性が浮かんだ。
もしかすると私は、
考えていたのではなく、
考えているつもりでいた
だけなのではないか。
ここで、
「悩む」と「考える」の違いを
整理してみたい。
悩んでいるとき、
人はかなり真剣だ。
時間も使うし、
感情も動く。
でも、
悩みの多くは
同じ場所を行ったり来たりしている。
「失敗したらどうしよう」
「もっといい選択があるかもしれない」
「今は決めるタイミングじゃない気がする」
問いは増える。
けれど、
何かを切り捨てることはしない。
一方で、
考えるという行為は違う。
考えるとは、
何かを失う前提で整理することだ。
完璧を諦め、
優先順位を決め、
選ばないものを決める。
だから、
考えるのは疲れる。
悩むよりも、ずっと。
それなのに、
人は簡単に
「考えた気」になってしまう。
理由は単純で、
悩んでいる状態のほうが安全だからだ。
悩んでいれば、
まだ決めなくていい。
まだ引き受けなくていい。
「真剣に向き合っている自分」で
いられる。
動いていないのに、
止まってもいないような感覚。
この宙ぶらりんは、
思っている以上に居心地がいい。
でも実際には、
何も削っていない。
何も選んでいない。
ただ、
頭の中を忙しくしているだけだ。
「どうすればいいですか?」
という言葉が
出てこなくなったのは、
成長したからではない。
たぶん、
「考えているつもり」の状態に、
自分で気づいてしまったからだ。
まだ何も決めていない。
まだ何も引き受けていない。
その状態で
答えだけをもらおうとすることに、
違和感が生まれた。
だから、
言えなくなった。
それだけのことだ。
今の私は、
まだ答えを持っていない。
でも、
考えているつもりで
頭を忙しくするよりは、
何を削れないのかを
見ようとしている。
それが、
今の私にできる
いちばん正直な「考える」だ。
みねまろ会議は、
答えを出す場所じゃない。
考える席から降りないための記録だ。
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