ブログ

阿佐霧 峰麿

占い師として、どこに立つのか(最終章⑤)

占い師として歩き始めたとき、

私はずっと考えていた。

 

 

 

自分は、

どこに立つ人間でいたいのか。

 

 

未来を断言する人か。

不安を一時的に消す人か。

それとも、正しそうな言葉を並べる人か。

 

どれも、しっくりこなかった。

 

 

 

なぜなら、それらはすべて

相手の人生の前に立つ立ち位置だからだ。

 

 

私は、誰かの人生の前に

立ちたいわけではない。

 

道を指差し、「こちらが正解だ」と

示したいわけでもない。

 

 

 

けれど、人生の途中で立ち止まったとき、

 

選択肢のひとつとして

静かに思い出してもらえる場所ではありたい

と思っている。

 

 

 

占いが「答え」だった頃、

人は占いに強く引き寄せられる。

 

 

当たったか、外れたかに一喜一憂し、

次の判断も、また預けようとする。

 

 

 

その状態では、

占いは人生を代わりに運転するものになってしまう。

 

 

けれど、占いが「構造」として使われ始めたとき、

関係はまったく変わる。

 

 

 

占いは、判断を急がせるものではなくなる。

 

未来を固定するものでもない。

 

 

今、自分はどこに立っているのか。

何に無理が出やすい状態なのか。

どの選択が、消耗につながりやすいのか。

 

 

そうした視点を思い出すための

基準点として存在しはじめる。

 

 

 

この距離感になると、

占いは生活の中に溶け込む。

 

 

毎回、頼らなくてもいい。

困るたびに、来なくてもいい。

 

けれど、必要なときには思い出せる。

 

 

それは依存ではない。

 

むしろ、自分の人生を自分で扱っている状態に近い。

 

 

 

私は、占いを

「使い続けてもらいたい」とは思っていない。

 

 

占いがなくても

歩ける人が増えていくこと。

 

 

それでもなお、節目や迷いの中で

確認しに戻ってこられる場所であること

 

 

 

その関係性こそが、

いちばん健やかだと思っている。

 

 

 

 

だから私は、

常に答えを用意して待つことはしない。

 

 

代わりに、

判断を急がなくていい時間と

判断を支える視点を整え続けている

 

 

 

占い師とは、

鑑定台の上だけの存在ではない。

 

 

 

日常の中で、

ふと思い出される視点であり、

立ち止まったときに戻ってこられる座標である。

 

 

 

 

私は、

そういう在り方で

占いという場所に立ち続けたいと思っている。

 

 

 

答えを渡す人ではなく、

選び直せる感覚が残る人として。

 

 

 

そのほうがきっと、

人生は長く、静かに前へ進んでいく。

 

—————————————————————

 

言葉でも、声でも、対面でも──

その日のあなたに合う距離で。

 

そっと寄り添える場所として、

ここにいます。

 

—————————————————————

X(旧Twitter)

運勢・ブログ更新・待機スケジュールなど、

日々の動きをすべてこちらでお知らせしています。

 

✦ 電話占いヴェルニ

その日の気持ちをそのまま置ける場所。

(ほぼ毎日待機中|スケジュールはこちら)

 

✦ 対面鑑定(原宿ほしよみ堂 )

直接向き合いながら、未来の焦点を整える時間。

 

✦ プロフィール・ブログ一覧

阿佐霧 峰麿の歩みと、全ブログのアーカイブ。

 

※各項目を押すとリンク先に移動できます。

  • 「ほしよみ堂」youtubeチャンネル
  • 占い師募集

占いのことなら|ほしよみ堂 > ブログ > 占い師として、どこに立つのか(最終章⑤)