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あぐり

人を人として扱わない職場にとどまるべきか?

退くという叡智 ― 天山遯・二爻が告げるもの

人が去っていく現場には、独特の静けさが残る。
それは嵐が去ったあとの澄明ではなく、声を失った空間の静寂だ。

張り切っていた仲間たちが、ひとり、またひとりと姿を消していく。
努力が報われなかったのではない。
才能が足りなかったわけでもない。
ただ、「人を人として扱わない構造」に、心が耐えきれなかったのだ。

そんな状況の果てに投げかけられた
「今までのやり方ではだめだ。誰か改革を起こさないか」
という言葉。

それは希望の呼びかけではない。
空洞化した現場に、さらに責任を押しつけるための言葉だと、
胸の奥では誰もがわかっている。

ここで易が示したのが、
天山遯(てんざんとん)・二爻だった。

遯とは、逃避の卦ではない。
ましてや敗北の印でもない。
それは「時を読む者」にのみ許される、
もっとも静かで、もっとも知的な選択を示す卦である。

黄牛の革に身を縛るということ

二爻の爻辞はこう語る。

「執之用黃牛之革、莫之勝說」

黄牛の革――
柔らかそうでいて、実は驚くほど強靭な革。
それで自らを縛り、誰にもほどけないようにする。

この言葉は、
「耐えろ」「尽くせ」「犠牲になれ」
という意味ではない。

むしろ逆だ。

それは、
自分が何者であるかを、外の狂気から守り抜くための結界である。

人が次々と壊され、切り捨てられ、
なお「改革」という美名だけが残される場では、
善悪の感覚が麻痺していく。

理不尽を理不尽と感じなくなったとき、
人は組織の一部ではなく、
構造の歯車に成り果てる。

黄牛の革とは、
そうならないための「倫理の皮膚」だ。

なぜ、ここで改革を起こしてはいけないのか

遯の卦が出ているとき、
前へ出る者は、必ず傷つく。

今、求められている「改革」は、
人がいないことを前提とした改革だ。
信頼が壊れたままの改革だ。
責任だけが個人に集中する改革だ。

それは、易の世界ではすでに「時を失った行い」である。

二爻は告げている。
ここで旗を振るな、と。
英雄になるな、と。

正しさを証明しようとする者ほど、
この構造では深く削られていく。

「留まる」とは、戦わないことではない

遯の二爻は、退きながら留まる。

それは、
改革者として踏みとどまることではない。
組織を救うために身を削ることでもない。

人格を壊さずに、この時間をやり過ごすために留まる
という意味だ。

過剰な期待を引き受けない。
理念を語らない。
誰かを救おうとしない。
評価を取りに行かない。

静かに、淡々と、
自分の内側の灯を消さないことだけに集中する。

そして水面下で、
次の場所へ向かう準備を整える。

二爻は、まだ山を登らない。
だが、山から目を逸らしてもいない。

退く者は、負けていない

この卦は、こう言っている。

人が軽んじられる場所で、
どんな理想も、どんな改革も、
最後には消耗に変わる。

今、必要なのは
声を張り上げる勇気ではない。
戦う覚悟でもない。

価値を手放さない勇気だ。

遯とは、敗走ではない。
生き延びるための叡智であり、
次の時代へ渡るための静かな橋である。

黄牛の革で、自分を縛れ。
誰にもほどけないように。

そうすれば、
この場所が終わるとき、
あなた自身は終わらずに済む。

易は静かに告げている。
――退く者こそ、
もっとも深く、未来を見ているのだ、と。

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