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阿佐霧 峰麿

みねまろ会議9|なぜ人は、自分で決める前に寄りかかってしまうのか

自分の人生のことなのに、

 

人は驚くほど自然に、

誰かに判断を求める。

 

 

 

「どうすればいいですか?」

 

 

 

この言葉は、

とても真剣に聞こえる。

 

 

悩んでいる途中のようにも、

考えている最中のようにも見える。

 

 

でも、少しだけ立ち止まってみると、

 

この言葉には

不思議な軽さがある。

 

 

 

 

答えをくれる相手は、

その選択の結果を

引き受けてはくれない。

 

失敗したとき、

一緒に責任を負ってくれるわけでもない。

 

 

 

それでも、人はこの言葉を使う。

 

しかも、ほとんど抵抗なく。

 

 

なぜだろう。

 

 

 

それは、

自分で決める前に、

誰かの答えに寄りかかれるからだと思う。

 

 

 

 

判断には、

思っている以上に

重たいものが含まれている。

 

 

何を選ぶかだけじゃない。

何を失うのか。

 

うまくいかなかったとき、

「それでも自分が選んだ」と

言えるかどうか。

 

 

そこまで含めて考えるのは、

正直、しんどい。

 

 

 

だから、

誰かの言葉に寄りかかる。

 

 

 

そうすれば、

一度だけ楽になる。

 

「これでいいんだ」と思える。

 

 

 

このとき人は、

 

悩んでいるし、

相談もしているし、

情報も集めている。

 

だから自分では、

ちゃんと考えているつもりでいる。

 

 

 

でも実際には、

 

判断の席から

ほんの少しだけ立ち上がっている

 

人生のハンドルを

一瞬だけ手放している

 

 

 

この状態は、

意志が弱いから起きるわけじゃない。

 

 

むしろ、

とても合理的だ。

 

 

間違えたときの痛みを減らせる。

責任を一人で抱え込まなくて済む。

大きな失敗を避けられるかもしれない。

 

 

 

だから、

「分からない側」に残ることは、

安全でもある。

 

 

ただ、その安全に慣れてしまうと

自分で選ぶ感覚が

少しずつ鈍っていく

 

 

 

決められなくなるのではない。

 

 

決めなくても済む状態に、

慣れてしまう。

 

 

「どうしたいか」を考える前に、

「どうすればいいか」を

聞く癖がつく。

 

 

 

その結果、

自分の本音が

どこにあるのか、

分からなくなっていく。

 

 

誰かに聞くこと自体が、

悪いわけじゃない。

 

 

人は一人では考えきれない。

助けを借りることも必要だ。

 

問題は

考える前に寄りかかってしまうことだ。

 

 

 

答えが出なくてもいい。

 

決めきれなくてもいい。

 

それでも、

考える席に座り続けている限り、

人生はまだ自分のものだ。

 

 

逆に、

その席を離れた瞬間から、

 

人生は少しずつ

他人の言葉で動き始める

 

 

 

これは、

誰かを責める話ではない。

 

多くの人が、

気づかないうちに

何度も通ってきた構造の話だ。

 

 

 

今、

自分は考えているのか

 

それとも、

考えた気になっているだけなのか

 

 

 

その問いを

手放さないでいること自体が、

 

まだハンドルを

自分の側に置いている証拠だと思う。

 

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言葉でも、声でも、対面でも──

その日のあなたに合う距離で。

 

そっと寄り添える場所として、

ここにいます。

 

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