みねまろ会議10|考える席に戻ったら、次の違和感が残った
ここまで考えてきて、
ようやく一つ分かったことがある。
人は、
考えることが怖いから
誰かに寄りかかるわけじゃない。
むしろ逆で、
考え続けてしまう人ほど、
途中で誰かの答えに触れたくなる。
一人で考え続ける時間は、
想像以上に息が詰まる。
逃げ場がない。
話題も変わらない。
視線を逸らす先もない。
自分の中にある矛盾や、
都合の悪い本音が、
四方八方から
こちらを向いてくる。
まるで、
誰もいない部屋で
椅子に座り続けているような感覚だ。
立ち上がる理由もない。
席を移る口実もない。
ただ、
考え続けるしかない。
だから、
一瞬だけ外の言葉に触れる。
誰かの結論。
誰かの整理された言葉。
「分かっている人」の
短く、迷いのない一文。
それに触れた瞬間、
空気が入れ替わる。
視界が開けたような気がして、
呼吸が戻る。
この行為自体は、
逃げではない。
悪いことでもない。
むしろ、
人が考え続けるために
自然に行っている
「呼吸」に近い。
問題は、その呼吸を
「居場所」にしてしまうことだった。
考える席に戻ったつもりで、
実は、別の椅子に
腰を下ろしてしまっている。
自分で考えているつもりでも、
視線はずっと
誰かの言葉のほうを向いている。
ここまで書いてきて、
もう一つ、
はっきりしてきた違和感がある。
なぜ人は、ここまで
「分かる人の言葉」を
求めてしまうのか。
なぜ、
分かっている人の言葉ほど、
安心できるのに、
同時に
息苦しくなるのか。
それはまるで、
見晴らしのいい高台に
連れて行ってもらったのに、
自分の足が
地面についていないような感覚だ。
景色は正しい。
説明も的確だ。
「なるほど」と思える。
それなのに、
なぜか、自分の居場所が
分からなくなる。
考える席に戻ったつもりで、
実はまた、別の場所に
寄りかかっているだけなのではないか。
そう考えると、
これまでの話は
終わりではなく、
どうやら入口だったらしい。
「考える席に戻る」とは、
答えを持つことじゃない。
どの言葉に、自分が
寄りかかろうとしているのか。
その距離を、
その位置関係を、
見分け続けることなのかもしれない。
そして、
気づけば
こんな疑問が残っていた。
分かる人の言葉は、
なぜあんなにも
短く、
迷いがなく、
正しいのか。
そして、
なぜその正しさが、
ときどき、自分を遠ざけてしまうのか。
どうやら、
次に考えるべき席は、
「言葉」そのものではなく、
その言葉が
どこから発せられているのか、
そこにありそうだ。
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