答えは、人を止めることもある(最終章⑧)
答えを欲しがるのは、自然なことだ。
けれど、
答えが「常に助けになるか」というと、
そうとも限らない。
これは、
答えが悪いからではない。
使い方の問題だ。
答えは、
一時的に人を楽にする。
「これでいい」
「もう迷わなくていい」
そう思えた瞬間、
胸の奥が少し緩む。
判断を止められる。
考えなくて済む。
責任を一旦、脇に置ける。
だから、
答えは魅力的だ。
ただ、
その楽さは長く続かない。
しばらくすると、
また同じ場所で引っかかる。
別の選択肢が気になり始める。
「本当にこれでよかったのか」
という声が戻ってくる。
すると人は、
もう一度、答えを探しにいく。
前よりも強い言葉を。
前よりも断言してくれる人を。
ここで起きているのは、
迷いの解消ではない。
迷いの先送りだ。
答えは、
判断を代わりにしてくれる。
けれど、
判断する力そのものを
育ててくれるわけではない。
だから、
同じ場面に戻ってくる。
条件が少し変わっただけで、
また分からなくなる。
これは、
意志が弱いからでも、
学びが足りないからでもない。
答えが、
「状況」にしか対応していないからだ。
人生の判断は、
いつも条件が違う。
人も違う。
時期も違う。
余裕も違う。
完全に同じ状況は、
二度と訪れない。
そのたびに、
答えを当てはめようとすると、
どうしてもズレが出る。
そして人は、
「自分がダメなのかもしれない」
と思い始める。
でも、
そうではない。
答えが、
人生の使い方に向いていないだけだ。
人生は、
一問一答のテストではない。
状況を読み取り、
しんどさを見積もり、
選び直しながら進むものだ。
だから本来、
必要なのは答えよりも、
・今は、動く局面なのか
・それとも、整える局面なのか
・これは広げていいしんどさなのか
・削ったほうがいいしんどさなのか
・この選び方は、自分に無理が出やすいのか
・今、選ばないという判断は成立するのか
そういった、
判断の前提だ。
答えは、
前提が整っていないと、
かえって人を混乱させる。
逆に、
前提が見えていれば、
答えがなくても選べる。
「今は決めない」
「ここは保留にする」
という判断も、
ちゃんと成立する。
これは、
逃げではない。
判断の一種だ。
答えがあることで、
前に進める人もいる。
でも、
答えがあることで、
止まってしまう人もいる。
その違いは、
その人の強さではない。
「どこを見て判断しているか」
それだけだ。
この章で伝えたいのは、
答えを捨てろ、という話ではない。
答えを、
人生の主役にしないでほしい、
ということだ。
答えは、
道具のひとつにすぎない。
使う場面を間違えると、
助けになるどころか、
足を止める。
じゃあ何を軸にすればいいのか。
答えの代わりに、
何を持っていれば、
人は迷いながらでも進めるのか。
次はそこに踏み込んでいく。
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