あぐり
企画を止めろと言われましたが…正しさだけでは、文化は守れない
――地水師・五爻が告げる、志を折らぬための知恵――
あなたが積み上げてきた企画は、決して軽いものではなかったはずです。
日本の伝統文化、大和心とは何かを問い、その源流に触れ、名もなき人々が受け継いできた芸能や技、精神を、今の時代に手渡そうとする営み。
それは、視聴率や即効性とは本来、別の時間軸に生きる仕事です。
だからこそ、「数字が出ないからやめろ」という一言に、あなたは強い違和感を覚えた。
それは当然です。
なぜなら、日本の古典文化は、評価されるために続いてきたのではないからです。
賞賛も名声もない場所で、それでも「これは残すべきものだ」と信じた人々が、静かに手をつないできた結果として、今がある。
その思いに、嘘はありません。
しかし、ここで立てられた易――地水師・五爻は、あなたの志そのものを否定してはいません。
むしろ、その価値を認めたうえで、より厳しい問いを投げかけています。
「田に禽有り、言を執るに利し、咎なし。」
田にはすでに獲物がいる。
成果の芽は、最初からそこにあった。
つまり、コンテンツ自体に問題はない。
文化の価値も、企画の方向性も、間違ってはいない。
問題は、どう戦っているかです。
地水師は「戦の卦」。
けれど、ここでいう戦とは、武力ではありません。
人を動かし、価値を世に届け、思想や文化を社会に浸透させるための、集団の営みです。
五爻は、その戦における「君位」。
あなたは今、前線で汗を流す兵ではなく、本来は――
誰に任せ、どの言葉を公式な命令とするかを決める立場にいます。
続く爻辞が、それをはっきりと告げます。
「長子師を帥い、弟子屍を輿す。貞なりといえども凶。」
志は正しい。
動機も清い。
それでも、人選と指揮系統を誤れば、結果は凶となる。
ここでいう「長子」とは、血縁の長男ではありません。
経験、責任、判断力を備えた、真に任せるに足る人物。
一方の「弟子」とは、近くて扱いやすく、従順だが未熟な存在です。
能力ではなく、都合で人を配置する。
声の大きさや立場で物事を決める。
そうした陣形のまま、いくら正しい文化を掲げても、戦場には屍が積み上がる。
それが、この爻の冷徹な現実です。
あなたが感じている苦しさは、
「正しいことをしているのに、報われない」からではありません。
正しさを引き受けすぎている場所に、立ち続けているからです。
地水師・五爻は、「続けるな」とは言っていません。
同時に、「このまま続けよ」とも言っていない。
易が本当に問うているのは、こうです。
「評価されず、名も残らず、それでも継がれてきたもの」
それは事実です。
ただし、その人々は、
自分をすり潰す場所を選び続けたわけではない。
易はいつも、人を美談では殺しません。
この卦が示す最終的な知恵は、こうです。
正しい志を守るために、退く判断を下せる者こそが、真の将である。
続けるか、離れるか。
その二択ではなく、
どこで、誰と、どの陣で続けるか。
――この文化を、誰の戦として、どの陣形で続けるのか。
文化を継ぐ道は、一つではありません。
同じ組織、同じ形式、同じ肩書きである必要もない。
大和心を守ることと、今いる場所に殉じることは、同義ではないのです。
正しい志を守るために、退く判断を下せる者こそが、真の将。
それが、地水師・五爻の最後の教えです。
あなたの中にあるものは、まだ失われていません。
それをどこで、誰と、どの形で生かすのか。
その選択をする静かな権利は、すでに、あなた自身の手の中にあります。
文化は、人を壊すことでしか守れないものではない。
易は、そのことを、深く、そして厳しく教えているのです。







