あぐり
夢日記のすすめ ―眠りの底から、人生は静かに書き換えられる
どんなに努力しても人間関係がうまくいかない…。
気づけば食べすぎてしまう…。
衝動買いがやめられない…。
人生を大きく破壊するほどではないけれど、できることなら少し改善したい…。
誰の胸にも、そうした小さな課題が、静かに居座っているのではないでしょうか。
ほんの少し、やけにならずに済むこと。
ほんの少し、落ち込みの底に沈まずにいられること。
それだけで、人生の流れは思いのほか穏やかに、好転していくものです。
そんなとき、ひとつの静かな提案があります。
夢日記をつけてみてはどうでしょうか。
夢は、潜在意識のあらわれだと言われます。
一方で、夢の多くは意味を持たず、脳が情報を整理しているだけだ、という見方もあります。
そのどちらも、きっと正しいのでしょう。
しかし、夢を記録し続けてみると、
そこには意外なほど率直な「自分の心」が、繰り返し姿を現すことがあります。
夢日記は、自分自身を占うための、最も古く、最も誠実な方法のひとつだと言えるのかもしれません。
精神分析の創始者である ジークムント・フロイト もまた、夢の分析を通して、自らの深層心理に触れました。
彼が見出したのは、父親に対する強い憎悪でした。
フロイトにとって夢判断とは、単なる「奇妙な夜の映像解釈」ではありませんでした。
それは、理性の光が届かない場所に沈んだ感情――
とりわけ、父に向けられた両義的な感情を、人がどのように抱え、生きているかを照らし出す試みだったのです。
父を愛している。
同時に、恐れている。
競争し、超えたいと願い、ときに排除したいとすら思う。
こうした相反する感情は、意識の上では受け入れがたく、抑圧されます。
その結果、夢という象徴のかたちを借りて、遠回りに現れる。
フロイトは、そこに人間の普遍的な心の構造を見ました。
それが、いわゆるエディプス・コンプレックスです。
重要なのは、夢が「父を憎め」と命じているわけではない、という点です。
夢はただ、
あなたが、確かにそうした感情を持っていた
という事実を、静かに告げているにすぎません。
この理解は、治療のあり方を大きく変えました。
症状とは、意志の弱さでも、道徳的欠陥でもない。
それは、抑圧された感情が、歪んだかたちで生き延びている証なのだ――
フロイトはそう考えました。
夢を語り、連想をたどり、言葉にならなかった思いを言葉にする。
そうして自分の内側にあった真実を引き受けたとき、
症状は役目を終え、静かに力を失っていく。
夢は未来を予言しません。
過去を暴くためのものでもありません。
夢とは、今もなお生き続けている未完の感情が、象徴という衣をまとって語りかけてくる声なのです。
夢日記は、人生を劇的に変える魔法ではありません。
けれど、眠りの底から届くその声に耳を澄ませることで、
私たちは、無意識に振り回される人生から、
無意識とともに歩む人生へと、そっと舵を切ることができるのです。
その小さな転回こそが、
思いがけないほど深く、人生を支えてくれることがあります。
今日からあなたも夢日記をつけてみませんか?







