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あぐり

「理念を利用する者のもとで、理念を生きようとするな」

剥ぐべきものを、剥ぐとき

――山地剥・三爻が教える、静かな離脱の智慧

志をもって始めた企画であった。
社会貢献を掲げ、人の役に立つと信じ、時間と心を注いできた。
それにもかかわらず、目に見える成果が出ないという理由だけで、上層部は早々に撤退を決める。
長期的な視野も、育てる覚悟もなく、ただ数字と即効性だけを基準に物事を裁く――
その姿に、言葉にならない違和感と虚しさを覚えたとしても、不思議ではない。

易に問うた結果は、山地剥(さんちはく)・三爻であった。

剥とは、崩壊である。
しかしそれは、突然の破壊ではない。
内部から静かに、少しずつ、土台が削がれていく状態を指す。
理念が掲げられていても、それを支える倫理や忍耐、時間への敬意が失われたとき、組織はすでに「剥がれ始めている」。

山地剥は、そうした末期的な状況を、容赦なく映し出す卦である。

その中で三爻は、特別な位置にある。
爻辞はこう記されている。

剥之、無咎
これを剥す、咎なし。

ここで語られているのは、「剥がされる者」の姿ではない。
むしろ、自ら剥ぐ者の姿である。

剥ぐべきものを、剥ぐ。
それは、怒りに任せて壊すことではない。
声高に抗議することでも、改革を叫ぶことでもない。
もっと静かで、もっと決定的な行為だ。

小象伝には、こうある。

之を剥して咎なきは、上下を失えばなり。

上下を失う。
それは、正しく機能すべき関係性が、すでに失われているということだ。
上は下を守らず、下は上に信を置けない。
そこでは、努力も善意も、やがて摩耗する。

この爻が示しているのは、
「その場に留まり続けることこそが、自分の道を削る行為になる」という、厳しい真実である。

しかし、易は決して拙速な決断を勧めてはいない。
三爻が動いた先に現れるのは、艮為山(ごんいざん)
止まる卦である。

これは、闘争でも逃避でもない。
外に向けた動きを止め、内なる重心を取り戻す段階だ。

説得しない。
理解を求めない。
期待を置かない。

ただ、自分の魂をこれ以上差し出さない。

それが、山地剥・三爻の「剥ぐ」という行為の正体である。

現代的に言えば、この卦はこう囁いている。

理念を消費する場所で、
理念を生きようとするな。

長期的価値を信じない組織に、
長期的な献身を捧げることはできない。
それは美徳ではなく、自己消耗だからだ。

だから、「やめるべきか」という問いに対し、
易は即断を迫らない。
ただ、はっきりと告げている。

精神的には、すでに剥ぎ終えてよい。

あとは、現実の条件と時機を見極めながら、
山のように静かに、しかし確実に、次の足場を整えるだけである。

剥は終わりの卦ではない。
削ぎ落としたあとに、何が残るのかを問う卦である。

最後に残ったもの――
それこそが、次に携わるべき場所であり、
これから守り、育てるに値する「本当の土台」なのだろう。

静かに剥ぎ、静かに立つ。
この卦は、その美しくも厳しい姿勢を、私たちに教えている。

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