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あぐり

会社で新しいシステムが導入されましたが、ついていけません…。

燃えすぎた火の行方

――離為火 四爻が告げる「教える者」の危うさ

新しいシステムが導入された。
画面は洗練され、操作は合理的で、未来の効率を約束しているかのように見える。
だが現場には、言葉にならない戸惑いが積もっていく。
配信された手順書を何度読み返しても腑に落ちない箇所があり、勇気を出して質問すると、返ってくるのは冷えた一言。
「よく読んで、自分でやらなければダメよ。」

この言葉が放たれた瞬間、空気は変わる。
そこにあったはずの「学ぶ場」は消え、「試される場」へと姿を変える。
理解できないのは努力が足りないからだ、という無言の圧が、静かに人を追い詰めていく。

この相談に対して立てられた易は、離為火 四爻であった。
爻辞はこう告げる。

突如其来如。焚如。死如、棄如。

突然に現れ、激しく燃え上がり、やがて死に、捨てられる。
これはあまりにも苛烈な言葉だが、感情的な断罪ではない。
ここで語られているのは、「火の本質を見失った状態」である。

火は本来、闇を照らすものである。
寒さを和らげ、道を示し、人と人を集わせる力を持つ。
知識もまた火に似ている。
正しく扱われれば、人を導き、世界を広げる。

しかし四爻の火は違う。
この火は強すぎる。
制御を失い、照らすためではなく、誇示するために燃え上がる。
「自分は分かっている」「自分は導入した側だ」という自負が、いつの間にか謙虚さを焼き尽くしてしまった火である。

このとき、焼かれるのは誰か。
理解の遅い者ではない。
質問する者でもない。
焼かれていくのは、「学ぼうとする関係性」そのものだ。

離為火 四爻は、理解できない側を責めていない。
むしろ警告しているのは、火を持つ側の慢心である。
火を掲げた瞬間、人は無意識に高みに立つ。
そして気づかぬうちに、光ではなく熱で人を支配し始める。

この卦が変じて現れるのは、山火賁である。
賁は「飾る」「美しく整える」という意味を持つ卦だ。
だが易は、外見の美しさに酔うなと諭す。
洗練された仕組み、最新の技術、正しそうな運用。
それらがどれほど立派に見えても、人を育てる余白がなければ、それは中身のない装飾にすぎない。

本当に問われるのは、
その仕組みが「人を照らしているか」、それとも「人を焼いているか」である。

相談者が「もうついていけない」と感じたのは、弱さではない。
それは、燃えすぎた火の危険を、本能的に察知した健全な感覚である。
易が示す「死如、棄如」とは、あなたが捨てられるという意味ではない。
捨てられるのは、制御を失った火のほうだ。

この卦が勧める道は、正面から火に飛び込むことでも、無理に自分を変えることでもない。
距離を取り、穏やかな灯を探し、自分の感覚を信じること。
それが、燃え尽きないための知恵である。

火は、扱い方を誤ればすべてを失わせる。
だが正しく灯されるなら、人の心に長く残る光となる。
今あなたが感じている違和感は、その光をまだ見失っていない証なのだ。

燃えすぎた火の末路を知る者は、
やがて、本当に人を照らす灯を選び取ることができる。

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