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あぐり

土足で伝統を踏み躙る人についてどうすればいい…炎上という名の「飛び過ぎた鳥」

――雷山小過・上爻が映す、言論空間の現在地――

能舞台に土足で上がるという出来事をめぐり、ある人がSNSで「残念だ」と一言つぶやいたところ、激しい炎上が起きたという。
そこには「だから伝統芸能は受け入れられないのだ」という攻撃的な声と、「土足で上がるなど論外だ」という糾弾の声が混在していた。

しかし、この騒動で本当に問われるべきなのは、土足か否かという表層的な問題ではない。
むしろ問題は、その意見を“述べた”という事実そのものに対して、集団的な攻撃が向けられた点にある。

言論の自由とは何か。
それは、声を大きくすることでも、相手を黙らせることでもない。
異なる立場の声が、互いに壊れずに存在し得る状態を、辛抱強く維持し続けることではないだろうか。

この問いを抱き、易を立てたところ、得られたのが雷山小過・上爻であった。

上爻の爻辞はこう記されている。
「弗遇、過之。飛鳥離之。凶。是謂災眚。」
――出会うべき相手と遇わず、ただ通り過ぎる。
――小鳥は分を越えて飛び、ついに災いを受ける。

雷山小過という卦は、もともと「小さきことはよいが、大きなことは不可」と説く。
慎み、節度、身の丈。
それらを守る限り、物事は壊れない。

しかし上爻に至ると、その慎みが失われる。
本来なら言葉を交わすべき相手をすり抜け、対話の地点を飛び越え、「飛ぶこと」そのものが目的化してしまう。
高く、遠く、目立つこと。
正しさよりも拡散が快感となり、意見は矢のように放たれる。

SNSやYouTubeといったネットワークは、確かに高度に発達した。
だが、それを運用する人間の側が、成熟したとは言い難い。
炎上が繰り返されるたびに疑問が浮かぶ。
私たちは、相手とコミュニケーションを取るために言葉を使っているのか。
それとも、己の不安や怒り、承認欲求をぶつけるために使っているのか。

もし後者であるならば、SNSは無法地帯となる。
それは自由ではない。
ただの衝突であり、消耗であり、崩壊である。

言論の自由は、自然に維持されるものではない。
それは交通ルールと同じだ。
赤信号で止まるという共通理解があって初めて、安全と速度と快適さが両立する。
全員が「自由に進め」と叫びながら交差点に突っ込めば、そこに残るのは混乱と破壊だけだ。

今回の炎上は、伝統芸能が叩かれたのではない。
注意や違和感を口にする“慎みの声”そのものが、過剰な勢いに飲み込まれたのである。
雷山小過の象意で言えば、陰が増えすぎ、陽が押し流された状態だ。

だから易は言う。
戦えとも、沈黙せよとも言わない。
ただ「低く飛べ」と。

高く飛ぶ鳥は、矢に射られる。
低く飛ぶ鳥だけが、季節を越える。

言葉も同じだ。
守ろうとする意志を失った自由は、最初に壊れる。
雷山小過・上爻は、私たちにその静かな事実を突きつけている。

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