なぜ、人は相手の気持ちを確認し続けてしまうのか
返事が来るかどうか。
相手がどう思っているか。
それを確かめていないと、
落ち着かない時間が続くことがあります。
何かを待っている自覚はある。
でも、待ちながら、
同じ確認を何度もしてしまう。
そして気づくと、
「相手がどう出るかを見る側」に、
自分が固定されたままになっている。
その位置にいるかぎり、
こちらから何かが決まることはない。
関係が終わったわけでもない。
はっきり進んだわけでもない。
ただ、
「何も決まらない時間」だけが、
静かに積み重なっていく。
その間、
相手の様子は気になる。
距離が近すぎないかも気になる。
このままでいいのかも、気になり続ける。
自分なりに考えてきたつもりだし、
軽い気持ちで向き合っているわけでもない。
むしろ、
慎重に、丁寧に扱おうとしている。
それなのに、気づくと、
何も変わっていないように感じてしまう。
こうした状態を見ていくと、
ひとつの共通点が浮かび上がってきます。
それは、
相手の動きや気持ちは
何度も確かめているのに、
自分がこの関係をどう扱っていくか、
という部分だけが、
ずっと保留になっていること。
相手がどう出るか。
流れが変わるか。
タイミングが来るか。
そこを見ていれば、
自分で決めなくて済む。
間違える責任も、
選ばなかった後悔も、
引き受けずにいられる。
これは、
逃げているというより、
「動かなくて済む位置」を
守り続けている状態に近い。
傷ついた経験がある人ほど、
自然と身につけてしまう姿勢でもあります。
このとき、人は
ある言葉を頼りにします。
「今は動かないほうがいい」
「まだ時期じゃない」
「待つことも大切」
確かに、
動かないほうがいい時間はあります。
ただしそれは、
何も変えなくていい状態が続く、
という意味ではありません。
動きが止まっているように見える時間でも、
内側では、
これまでの考え方や距離の取り方が、
少しずつ噛み合わなくなっていく。
同じ確認を繰り返すことに、
違和感が生まれ始める。
待つこと自体が問題なのではありません。
確認することが悪いわけでもない。
ただ、それだけを使い続けていると、
自分の人生が、
どこで止まっているのかを見ないまま、
時間だけが過ぎていく。
「決められない」という状態は、
何もしていない状態ではありません。
選ばなかったもの。
後回しにしてきたもの。
それらが、
静かに浮かび上がってくる
時間でもあります。
答えを出す必要はありません。
今すぐ動く必要もありません。
ただ、ひとつの問いに
気づいてしまうことがある。
──私は、
決めないことで、
どんな立ち位置に立ち続けてきたのか。
その問いが立ち上がってしまったなら、
以前と同じ場所には、
もう戻れないのかもしれません。
相手の気持ちを見続けている時間は、
何も起きていないようでいて、
自分が動かなくて済む状態を、
静かに長引かせています。
そのことだけは、
覚えておいてもいいのかもしれません。
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