いい人をやめられないのは、弱いからじゃない
これまで、3つの話を書いてきました。
「いい人でいようとすると、距離感は必ず壊れる」
ということ。
なぜ、嫌われないように振る舞うほど、
関係がしんどくなっていくのか。
そして、いい人をやめたとき、
関係はどう整理されていくのか。
ここまで読んで、頭では「分かる」と
感じた人も多いと思います。
合わせすぎていた。
自分が下がり続けていた。
距離を詰めすぎていた。
構造としては、確かにその通りだと。
それでも、
実際の生活に戻ると、
なかなか変えられない。
返事を遅らせるのが怖い。
距離を取ったら、一人になる気がする。
関係が壊れるくらいなら、
我慢したほうがいいと、
つい思ってしまう。
ここに、多くの人が抜けられない
“最後の引っかかり”があります。
それは、
「いい人をやめたあとの時間」を、
誰も教えてくれなかったということです。
いい人をやめたら、どうなるのか。
距離を詰めなくなったあと、
何が起きるのか。
本当に、関係は全部なくなってしまうのか。
特に、子育て中や
生活が詰まっている時期ほど、
この問いは現実味を帯びます。
新しい人間関係をつくる余裕はない。
気軽に外に出る時間もない。
気持ちを切り替える余白も少ない。
一人で抱えるにはしんどい。
愚痴を言える相手がいるだけで救われる。
話を聞いてもらえる場所があるだけで、
なんとか日常が回る。
だから、迎合してでも、
その場に居続ける。
それは弱さではありません。
かなり現実的な選択です。
ここから先は、
「分かっているのに動けない」理由を、
もう一段、生活の側から見ていきます。
距離を取れない理由は、
意志が弱いからでも、
考えが足りないからでもありません。
多くの場合、
人間関係が担っている役割が、
一か所に集中しすぎています。
話し相手。
安心できる場所。
愚痴をこぼせる相手。
「社会とつながっている」という感覚。
それらがすべて、
同じ関係に集まっていると、
そこから距離を取ることは
“関係を調整する”ではなく
“居場所を失うこと”
のように感じられてしまう。
だから怖い。
だから動けない。
これは性格の問題ではなく、
環境と構造の問題です。
返事を少し遅らせる。
会う頻度を落とす。
無理な同意をやめる。
やっていること自体は、
本当はとても小さい。
それでも怖くなるのは、
その関係が大事だからというより、
代わりがないからです。
話し相手。
安心できる場所。
弱音を吐ける先。
そうした役割を
一か所に預けすぎていると、
小さな距離の変化が、
生活全体を揺るがす選択に見えてしまう。
この状態で
「距離を取ろう」
「いい人をやめよう」
と決意しても、
怖さが先に立つのは自然です。
それは、
まだ手放せる状態にないものを、
無理に動かそうとしているから。
だから今は、
無理に変えなくていい。
無理に切らなくていい。
無理に強くならなくていい。
変えられない自分を、
説得しようとしなくていい。
まず必要なのは、
一つの関係に背負わせすぎている役割に
気づくことだけです。
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