美月 ジュリア
「守る人がいない”時代に思うこと」
先日、叔父が亡くなった
まだ気持ちの整理もつかない中
親戚から聞いたのは
母方の先祖墓を
「墓じまいするかもしれない」
という話だった。
理由はとても現実的だ
もう墓守をする人がいない!
管理を続けるのも難しい
時代的にも
子供達に負担を残したくない
きっと
そういう沢山の事情があるのだと思う
頭ではわかる
でも私は
その話を聞いた時
すぐには
「そうだよね」
と言えなかった
なぜなら
そのお墓は
私にとってただの“石”では
なかったからだ。
私は、
おりに触れてその場所を訪れていた
苦しい時
人生に迷った時
心が疲れてしまった時
静かな空気の中で手を合わせると
不思議と心が落ち着いた
子供の頃の記憶もある
母方の祖母の笑い声
両親に連れられ訪れたお墓
お盆の空気
夏の匂い
線香の煙
そこには、
「家族の時間」が確かにあった
だから私は
墓じまい
という言葉を聞いた瞬間
ひとつの時代が終わってしまうような
感覚になった
でも同時に、
今の時代は昔とは違うのだとも思う
昔のように
一族みんなが近くに住み
代々同じ土地を守る
時代ではなくなった
遠方に住む人も多い
高齢化も進んでいる
経済的な問題もある
「守りたい気持ち」だけでは
どうにもならない現実もあるのだ
墓じまいをする事が悪い
とは思ってはいない
むしろ、
誰も来なくなったお墓を
無理に残し続ける方が
寂しい事もあるのかもしれない
大切なのは、
形を残す事だけではなく、
“想い”
をどう繋いでいくかなのだと思う
最近は
永代供養という形もある
写真を残す人もいる
小さな供養の場を作る人もいる
形は変わっても
手を合わせる心まで消えるわけではない。
私は今回
叔父の死と
墓じまいの話を通して
「受け継ぐ」
という事について深く考えた。
家
土地。
名前。
お墓。
昔は当たり前のように
次の世代へ繋がっていくものだった
でも今は、
“繋ぎたくても繋げない時代”でもある
だからこそ
残された私達は
もっと自由に
もっと柔らかく
「想いの残し方」
を考えてもいいのかもしれない
お墓がなくなったとしても
思い出まで消えるわけじゃない
私はこれからも
ふとした時に叔父を思い出すだろう
母方の祖母や先祖達を思い出すだろう
そしてきっと
静かに手を合わせた
あの時間を
忘れる事はないと思う
墓じまい
その言葉の奥には
ひとつの家族の歴史と、
時代の流れと、
簡単には言葉に出来ない
寂しさがあるのだと
強く深く感じた






