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忍野叶眞

日本人は本当に信仰心を失ったのか?|占い師が考える「日本人と宗教」の違和感

「最近の日本人は信仰心を失っている」
そんな言葉を耳にすることがあります。
そして、こういうことを言っているのは、
なぜかお寺のお坊さんだったりする。
少なくとも私がSNSを見ていると、
この話題を出してるお坊さんをよく見かけます。
「最近は人が来ない」
「お布施が減った」
「日本人の信仰心がなくなった」
なんてぼやいているのを、よく見かけるんです。

私は、この言葉を聞くたびにずっと引っかかっていました。
本当にそうなのかな?
私自身、特定の宗教を信仰しているわけではありません。
家が特定の宗教を信仰していたわけでもない。
法事でお坊さんが来ても、子供の頃は話がつまらなくて、
正直あまり興味がありませんでした。
賢く人間関係を上手に保つ秘訣みたいな話一つできない訳ですよ。
人はどう生きることが大切なのか?とか話して欲しいですよ。
お経の解説だってちゃんと話すことすらしなかったです。

そして、私は神社仏閣巡りが好きです。
節目には神社へ行くし、手を合わせる。
「今こうしてここに来られているのも、何かのおかげなのかもしれないな」
そんな、うまく言葉にはできない感謝のようなものを感じることがあります。
それで少し心が整う。
それを「信仰心」と呼ぶのかどうかは、私には分かりません。
でも少なくとも、
「何も信じていない人間」ではない。
そして、自分の宗教との接点を振り返ってみると、意外と多いんです。

幼稚園はキリスト教。
お弁当を食べる前にアーメン。
小学生の頃は高野山系列のお寺の合宿に参加して、般若心経を唱える。
高校もキリスト教の学校で、聖書の授業があり、教会で賛美歌を歌う。
当時は深く考えず、周りに合わせてやっていただけでした。
周りにもそういう環境の人はたくさんいました。
だから当時は、それが特別なことだとも思っていませんでした。
ただ、大人になって振り返ってみると、
私は結構いろんな宗教に触れて育ってきたんですよね。
だから余計に思うんです。
日本人は、本当に信仰心を失ったんでしょうか?
私は、違うと思っています。

信じているものの形が違うだけなんじゃないでしょうか。
神社に行く。
仏壇に手を合わせる。
墓参りをする。
正月に初詣へ行く。
困った時に神様にお願いする。
誰かが亡くなれば手を合わせる。
「おかげさま」という言葉を使う。
こういうものまで全部含めて、
「信仰心がない」
と言うのであれば、
いったい何をもって信仰心と呼ぶんでしょう。

海外の映画を観ていると、
毎週日曜日に教会へ行って、そこで地域の人たちが顔を合わせる。
教会がイベントを開いて、人と人を繋いでいる。
困っている人がいれば、そこへ相談に行く。

私が宗教に期待しているのは、むしろこういう部分なんです。
祈ることだけじゃない。
人が困った時に、そこにいる。
寂しい時に、誰かと繋がれる場所になる。
困っている人がいれば、手を差し伸べる。
地域の人間関係を繋ぐ。
残念ながら、
そういう役割が今のお寺から見えにくくなっている気がします。
「駆け込み寺」という言葉が残っているくらいです。
残念なことに言葉しか残ってない気がします。

お寺は単純に、
お経を読んで、
お布施をもらって、
お墓を管理して、
それで終わる場所ではなかったはずです。
昔の寺院は、宗教施設であると同時に、
地域社会の人間関係や人の把握、相談や救済、
行政との仲介まで担っていたんですよね。 今でいうなら、
いくつかの公的な役割を、
お寺がまとめて担っていたようなものです。 地域の人たちの相談相手になったり、 人と人を繋いだり、 困っている人を助けたり。 そういう積み重ねがあって、 「この人たちのためにお金を出そう」 「この場所を残そう。守ろう。」 という気持ちが生まれていったんじゃないでしょうか。 だから私は、 「最近の日本人は信仰心がなくなった」 という話を聞くたびに、 「いや、それ、宗教家側にも原因があるんじゃないの?」 と思ってしまうんです。 困っている人が相談に来た。 でも、綺麗な言葉を並べて終わり。 「神に、仏にお祈りしましょう」 「ご先祖様を大切にしましょう」 それだけ。 いやいや。 祈る前に、目の前の人を助ける仕事があるんじゃないですか? 人の心に寄り添うことが宗教の役割なら、 寄り添うために何をしているんですか? 「今の世の中は……」 と語る前に、 目の前で困っている人に何をしてあげられるんですか? 素敵な言葉なら、 本屋さんに行けばいくらでもあります。 ネットで検索すれば、いくらでも出てきます。 だからこそ、 宗教家にしかできないことがあるんじゃないでしょうか。 ただ祈るだけなら、 私はそこに宗教家としての価値をあまり感じません。 もちろん、真面目に地域のために活動している宗教家の方もいるでしょう。 すべてを一括りにするつもりはありません。 でも、 「昔より人が来なくなった」 「お布施が減った」 「日本人は信仰心を失った」 とSNSで嘆く前に、 なぜ人がお寺へ行かなくなったのか を考えてみてもいいんじゃないでしょうか。 人は、必要な場所には行くと思うんです。 困った時に本当に助けてくれる。 話を聞いてくれる。 人と繋げてくれる。 安心できる。 そんな場所なら、 時代が変わっても人は集まっていたんじゃないでしょうか。 「檀家が減った」「お布施が減った」と嘆く前に、 なぜ人がお寺へ行かなくなったのか、 自分たちの側にも問い直してみてほしい。 自分の懐の心配ばっかして 地域のために何ができるかって考えが 薄まってますよね。 それに、私は宗教に関してもうひとつ思うことがあります。 わけのわからないことを言って、 「あなたには悪いものが憑いています」
 「除霊しないと大変なことになります」
 なんて不安を煽って、
 そこからお金を取るようなことは、やめてほしい。 本当に困っている人を助けるどころか、
 不安そのものを商売にしてしまったら、
 それは人を救うこととは違うんじゃないでしょうか。 お祓いしても変わらない人いっぱいいますよ。 私は、 日本人が信仰心を失ったのではなく、 信仰を受け止める場所のほうが 変わってしまったんじゃないかと思っています。 神様が嫌いになったわけでもない。 祈ることをやめたわけでもない。 ただ、 「この人に相談しても仕方ない」 「ここへ行っても何も変わらない」 と思われるようになったら、人が離れていくのは当然です。 そして、ここからは少し私自身の仕事にも繋がる話です。 私は占い師です。 だからこそ、 「困った時に誰に相談するのか」 ということを考える機会が多い。 私自身、何か悩みを抱えた時に、 お坊さんに相談して 人生が具体的に前へ進むイメージって、 正直あまりありません。 「あなたの心の持ち方が大切です」 「感謝しましょう」 「仏様にお祈りしましょう」 いや、 それは分かってるんですよ。 分かってるけど、困ってるんです。 「前向きになりましょう」 「自分を大切にしましょう」 そんなことを言われても、 どうすれば前向きになれるのかが 分からないから相談している。 そこを一緒に考えるのが、 人の相談に乗る仕事なんじゃないでしょうか。 占いだって、未来を保証できるわけじゃありません。 人生を代わりに決めることもできない。 でも、 「今どうしたらいいのか分からない」 「この人との関係をどうしたらいいのか」 「仕事をどうするべきなのか」 そういう具体的な悩みを、 一緒に整理することはできる。 少なくとも私は、 「お祈りしてください」で帰すような占い師にはなりたくない。 未来を当てることだけが占い師の仕事じゃない。 目の前の人が、 明日どう動けばいいのかを考える手伝いをする。 それくらいは当たり前にしたいと思っています。 だから、もしお寺に相談しても、 「お祈りしましょう」 で終わってしまったのなら…… 一回、占いに来てみてください。 少なくとも私は、 お経を読んで終わらせるつもりはありません。 一緒に考えましょう。 もちろん、未来のことまで全部当てられるとは言いませんが。 そのほうが、 よっぽど誠実じゃないですか? 私は宗教を否定したいわけではありません。 むしろ逆です。 人が何かを信じることには、 それなりの意味があると思っています。 だからこそ、 「日本人は信仰心を失った」 なんて簡単に言ってほしくない。 日本人を、そして神様の存在を、 そんなに簡単に馬鹿にしないでほしい。 人が神様を忘れたんじゃない。 もしかしたら、 神様を語る人のほうが、 人の心から遠くなってしまっただけなのかもしれません。 ……なんか、残念な話ですよね。 祈ることを否定するつもりはありません。 でも、 祈る前にやることがあるだろ。 私はそう思うんです。 そして、人を救うと言うのなら、 まず人のために動く。 それができて初めて、 その人の言葉に重みが出てくるんじゃないでしょうか。 だから私は、 「日本人は信仰心を失った」 という言葉を、そのまま信じられません。 むしろ、 信仰心がなくなったのではなく、 信仰する理由を与えられなくなっただけなんじゃないですか? そこを考えずに、 「最近の日本人は信仰心がない」 と人のせいにするのは、 ちょっと違うんじゃないでしょうか。 少なくとも私は、 お坊さんはそんなことを言う前に、 自分たちが人のために何をしてきたのか、 そこを一度、考えてみてほしいと思います。 にんにん
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