「多様性」を自分を認めてもらうために使っていないか?
「多様性」
2020年くらいから、
この言葉をよく聞くようになりました。
人それぞれ違っていい。
生き方も違う。価値観も違う。考え方も違う。
もちろん、それは大切なことだと思います。
でも、私は最近ちょっと気になることがあるんです。
多様性という言葉を、
自分を認めてもらうためにだけ使っていないでしょうか?
「私はこういう人間です」
「こういう生き方をしています」
「人と違っていてもいいじゃないですか」
もちろん、それでいい。
自分が人と違うことを理由に、否定される必要なんてありません。
ただ、そこで一つ考えてみてほしいんです。
じゃあ、自分と違う人のことは認めていますか?
自分の価値観は大切。
自分の生き方も大切。
自分らしく生きることも大切。
でも、相手が自分とはまったく違う価値観を持っていたら、
「それはおかしい」「そんな考え方はありえない」となってしまう。
それって、多様性なんでしょうか?
押し付けるばかりで受け入れないのは違和感です。
自分だけを認めてもらいたいだけになっていませんか?
私は、
多様性ってもっと面倒くさいものだと思っています。
だって、人間は本当に違うから。
それに多様性を訴える必要が
そもそもどうして必要なの?って感じます。
好きなものも違う。嫌いなものも違う。
大切にしているものも違う。
お金の使い方も違う。恋愛の仕方も違う。
仕事に対する考え方も違う。
家族との付き合い方だって違う。
そりゃ、理解できないこと沢山ありますよ。
「なんでそんなことするの?」
と思うことだってある。
私だってあります。
自由が許される環境で生活しているんだから、当然です。
でも、そこで、
「理解できないから間違っている」
と決めてしまったら、そこで終わりです。
そして、嫌いは嫌いでいいじゃないですか。
多様性って、
「みんな違ってみんないい」
と言って終わることじゃないと思うんです。
むしろ、
「なんでこの人は、こう考えるんだろう?」
と考えてみることなんじゃないでしょうか。
自分とは違う。
だから嫌い。
ではなく、
自分とは違う。
だから、ちょっと知ってみよう。
そのくらいでいいんじゃないですかね。
だって、全部の人に寄り添うことなんてできないでしょ?
もちろん、何でも認めろという話ではありません。
人を傷つけることまで、
「これも多様性です」
で済ませていいわけじゃないし。
人に迷惑をかけることまで、
「自分らしさだから」で許されるわけでもない。
誰かの権利を踏みにじることまで、
価値観の違いとして受け入れる必要はありません。
多様性でゴリ押しなんて無理です。
でも、ただ単に、「自分と考え方が違う」というだけなら、
もう少し放っておいてもいいんじゃないでしょうか。
自分のことを認めてもらいたい。
それは誰だってそうです。
私だってそうです。
でも、
自分を認めてもらいたいなら、
相手にも自分とは違う人生が
あることくらい認めることは必須ですよね。
私はそのほうが、多様性という言葉に近い気がします。
そして、これって占いにもすごく似ているんですよ。
占いをしていると、
「なんでこの人は、こんなことをするんだろう?」
と思っていたことが、少しずつ分かってくることがあります。
恋愛でもそう。仕事でもそう。家族でもそう。
自分だったら絶対に選ばないような生き方をしている人もいます。
昔の私だったら、
「なんでそんなことするんだろう?」
で終わっていたかもしれません。
でも、占いをしていると、
「この人は、どうしてこういう選択をするんだろう?」
と、その人を見るようになる。
すると、
「ああ、この人にとっては、これが大事なんだな」
と分かってくることがある。
自分の常識だけで人を見ていたら、
「変な人」で終わってしまう。
でも、その人にはその人の事情がある。
その人なりの価値観がある。
その人が生きてきた時間がある。
だから私は、占いをするときも、
「普通はこうするでしょ」
という自分の物差しを、
なるべく持ち込まないようにしています。
だって、私の普通なんて、
私の人生の中で作られただけのものですから。
あなたにはあなたの普通がある。
相手には相手の普通がある。
その違いを見つけることは、
「どっちが正しいか」を決めることとは違います。
人間って、
そもそもそんなに一つの答えで
片付けられるものじゃないんですよ。
だから私は、
「自分らしく生きよう」
という言葉も好きですが、
それと同じくらい、
「自分と違う人がいることにも慣れよう」
と思っています。
多様性って、
自分を認めてもらうためだけの言葉じゃない。
自分とは違う誰かを、
理解しようとするための言葉でもある。
自分のことばかり主張するんじゃなくて、
たまには相手のほうを見てみる。
「なんでこの人は、こうなんだろう?」
と考えてみる。
分からなくてもいいんです。
全部理解できなくてもいい。
ただ、
分からないものを、すぐに否定しない。
それだけでも、結構違うんじゃないでしょうか。
そして、これができると、人間関係って少し楽になります。
相手を自分と同じにしようとしなくていいからです。
恋人も。家族も。友達も。職場の人も。
みんな自分とは違う人間です。
だったら、
違うことを前提に付き合ったほうが、ずっと面白い。
私はそう思います。
多様性という言葉を、「私を認めてください」だけに使うのではなく、
「あなたは私とは違うんですね」と言えるところまで持っていけたらいい。
そのほうが、多様性という言葉を使う意味があるんじゃないでしょうか。
どこまで行っても多様性って言葉で何でもありの世界は作れませんよ。
そして多様性という言葉を振り回すのって下品な行為だと思います。
にんにん