阿僧祇ユナタ
道を誰かに決めらちゃあいけない──自分で知って決めていきなさいよ
人の精神とは常に変わり映えがあり、波の様にうねっていきます。
波と同じで、高さが大きくなるとその分、下がった反動も大きいのは当然よね?
ノイローゼや鬱を患う方はそういった心の波に左右されがちです。
今月から池袋ほしよみ堂がグランドオープンします。https://share.google/zo5SzoskUGAa1gLe6
都会の中に潜むひっそりとした隠れ家的な場所です。
飛び込みはないと思ってましたが、ついこの間飛び込みのお客様に見つかってしまいました。(笑)
話しを戻します。
そんなノイローゼや精神の不安に左右されてしまうのは誰も望んじゃいない。
だからそうならない予防を自分自身で見つけないといけない。
ちょっとここで雑学ですが中国の哲学、【荘子】に面白いお話しがあります。
紀渻子という人物が斉の国王の為に闘鶏を飼っておりました。
十日して王が尋ねる。
「どうだ、もうよい?」
「いんや、まだです。実力もないのに驕りたかぶり、我こそはと気負い立っている最中ですわな」
十日後、王がまた尋ねました。
「もうそろそろよいだろう?」
「まだいけません。空威張りしなくはなりましたが、相手を見たり泣き声を聞いたりするだけで、キッと身構えてますぞ。こいつは」
さらに十日と経って王が訪ねると、
「いや、まだまだです。この野郎とばかりに憎々しげに相手を睨めつけてかさにかかるところがありますぞ」
その後十日してようやく紀渻子が答えます。
「ん〜、もうそろそろよいでしょう。相手の鶏がいくら声を張り上げて喧嘩を売ってきても“我、変ずる事無し“で、一向に平気で普段と変わりません。まさしく『之を望むに木鶏に似たり、其の徳全し』です。相手は敢えて闘いを挑む事も出来ず、走って逃げ帰るだけでしょう」
これは闘鶏に名を借りて宇宙と生命体の最も根源的な姿──渾然たる元気を内にたたえながら宇宙の創造活動に冥合して、無為自然に生きる姿──について語ったものとされるものです。
難しい言い回しですね?
私もそう思います。(笑)
要は自然体の究極で、どんな事象が起きようとも心はブレることなく不動にするべしという考えです。
この状態になると一時的な刺激くらいでは自分を見失わず、物事の一面や偏見に囚われて人と対立する事も無く心も安定して不安が無くなるわけです。
完全にこの状態にならなくても入り口付近を知るだけで違う。
これに到達するにはどうすれば良いのかというと自分の根っこの部分──すなわち元気の源を知ることが重要。
基本的に人は自分の五感を持って生活して、体験して、刺激を受けるものです。
西洋では感覚、知覚を通して得た経験や学習によって人間の意識が発達するとされます。
でも東洋の思想だと感覚や知覚はむしろ根っこの元気を損ないかねないとされます。
なので知覚や感覚を生み出す根っこそのものに目をむけて元気と一体化しようと考えるんです。
これってつまり自分の中の本当の素質や能力に沿った自分に合う生き方──至極自然体に生きる事こそが“道”にそくしているという事です。
自分の道というのは最終的に自分にしか分からず、その道を敷くのはやはり自分というわけ。
得た経験や刺激も大事だけど、最後は自分の中にある根っこを知り、自分だけの自然体を生み出せれば不安や鬱から解放され、不動の精神を養うことが出来るようになる!
阿僧祇ユナタは大宮、浅草、原宿、そして池袋に在籍しております。
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