茶灯ぼたん
期待された男の子ではなかった私が、占い師になるまで NO.4
三女の私が抱えていたもの 〜三女編〜
三女として生まれた私は、幼い頃からどこか申し訳なさを抱えて生きていました。
家の中であまり自分を主張しない子どもでした。 そして姉たちを見ながら、「親に迷惑をかけてはいけない」という思いを強く持つようになっていました。
そんな私にも夢がありました。 高校卒業後の進路を考える頃、私も姉たちのように自由に生きたいと思うようになったのです。 興味のあったデザインを学びたい。 そのためには親に頼ってはいけない。 そう考えた私は、家を出て新聞奨学生として働きながら、デザインを学ぶ短期大学へ進学しました。 ようやく自由を手に入れたはずでした。 けれど、心はいつも実家にありました。 親は元気だろうか。 家の仕事は大丈夫だろうか。 何かあったらすぐ帰らなければ。 そんな思いが、いつも頭の片隅にありました。 就職先を決める時も、「何かあったらすぐ帰れる場所」「親が安心してくれる会社」を基準に選んでいました。 自由になりたくて家を出たはずなのに、本当の意味では自由になれていなかったのです。
実家の農繁期にはよく帰省して手伝いもしていました。 そんなある時、両親から「いずれ家を継いでほしい」という話がありました。 両親も50代半ばを迎え、将来のことを考え始めていたのでしょう。 その頃の私は結婚適齢期。 結婚を考える相手には、実家を継ぐ可能性があることも伝えるようになりました。 けれど、それは簡単な話ではありませんでした。 私の家を継ぐということは、相手に婿養子という選択を求めることになります。 それは本人同士だけの問題ではなく、相手の家族の思いも関わってきます。 話が進みそうになっても、現実はそう簡単ではありませんでした。
そんな中、長女は関東で出会った方と結婚し、子どもにも恵まれました。 里帰りするたびに、家族みんなが笑顔で迎えていました。 もちろん嬉しいことでした。 けれど私は、その姿を見るたびに心が苦しくなっていきました。 どうして私だけが実家のことを背負わなければいけないのだろう。 どうして私だけが結婚と家のことで悩まなければいけないのだろう。 強制されたわけではありません。 けれど、そう感じてしまう自分がいました。 そして少しずつ、家族との関わりを避けたいと思うようになっていったのです。
自由になりたくて家を出たはずなのに、気づけば私は、家という見えない責任に縛られていました。
次回は
「生きづらさのピーク」について
書こうと思います。






