あぐり
同僚が「ただで何かを得ようとしている」と感じた私は、器が小さいのでしょうか ――ペンタクル9が教える、与えることと境界線
「相手が、ただで何かを得ようとしているように感じる私は、器が小さいのでしょうか」
そんなご相談にタロットを引いたところ、出たのはペンタクル9・正位置でした。
このカードを見て最初に感じたのは、
「あなたが守ろうとしているのは、お金ではなく、自分が時間をかけて培ってきたものへの敬意なのではないでしょうか」
ということです。
ペンタクル9が象徴するのは、
自立、成熟、実り、そして選ぶ力。
自分が築いてきたものの価値を認め、それを誰と、どのように分かち合うのかを自分で決める。
今回の違和感には、まさにこのカードのテーマが表れています。
ペンタクル9は「自分で育てた庭」に立つ人
ペンタクル9には、豊かに実った庭の中に立つ人物が描かれています。
その実りは、突然与えられたものではありません。
時間をかけて育て、
手入れをし、
経験を積み重ね、
自分自身で築いてきた豊かさです。
今回の相談に重ねるなら、その庭とは、
講師として身につけてきた知識や技術、
人に伝えるために試行錯誤してきた経験、
失敗から学んだこと、
長い時間をかけて磨いてきた「教える力」
なのでしょう。
知識は目に見えません。
人に話したからといって、手元からなくなるものでもありません。
だから、
「ちょっと教えるくらい、いいじゃない」
と思われやすいところがあります。
けれど、その「ちょっとした一言」を語れるようになるまでには、何年もの積み重ねがあります。
お金を払って学んだこともある。
何度も失敗したこともある。
時間を使い、試行錯誤して、ようやく自分の言葉として伝えられるようになったこともあるでしょう。
無料で話したことと、その知識に価値がないことは別です。
ペンタクル9は、その価値をまず自分自身が認めるカードでもあります。
「久しぶりに会う」はずが、質問に答える時間になっていた
相談者と相手の女性は、以前、一緒に講師の仕事をしていました。
当時、
「教えるテクニックや講師としての心構えについて、いつか勉強会をしましょう」
と話していたそうです。
その後、相手が仕事を辞めたことで、その話はいったん流れました。
しばらくして、
「久しぶりに会いたい」
と連絡が来ます。
せっかくだから、近況報告をしながら、お互いの経験を話し、何か勉強になればいい。
そんな気持ちで、オンラインで話すことになりました。
ところが実際に始まってみると、
近況を語り合うというより、
お互いに何かを持ち寄るというより、
相手が質問し、こちらが答える。
ほとんどその繰り返しだったそうです。
そして最後に、
「楽しかったです。また来月やりましょう」
と言われた。
そのとき、相談者の中に違和感が残りました。
「彼女は楽しかったかもしれない。でも、私はこの時間から何を受け取ったのだろう」
と。
問題は「無料」よりも、関係が一方向になっていたこと
もし最初から、
「今日は私の質問に答えてもらえませんか」
という話だったなら、ここまで違和感は残らなかったかもしれません。
相談者が思い描いていたのは、
お互いに何かを持ち寄る時間
だったからです。
近況を聞く。
自分の経験を話す。
相手の経験からも学ぶ。
考えを交換する。
そこには、金銭とは別の意味での「行き来」があります。
けれど今回は、
質問する人と、答える人。
いつの間にか役割が固定されていた。
だから、
「これは私が思っていた関係とは違う」
と感じたのでしょう。
人間関係は、同じ量を返し合う取引ではありません。
一時間教えてもらったから、一時間教え返す。
何かをもらったから、同じ価値のものを返す。
そんな精算表のような関係である必要はありません。
けれど健全な関係には、
「相手の時間を大切にしたい」
「私も何かを返したい」
という自然な相互性があります。
今回の違和感は、その相互性が感じられなかったことから生まれたのでしょう。
相手を悪者にしなくても、自分の違和感は大切にしていい
だからといって、
「彼女は、ただで知識を得ようとしていた」
と決めつける必要はありません。
本人には、悪気がなかった可能性もあります。
久しぶりに話せて楽しかった。
いろいろ聞けて勉強になった。
だから、また話したい。
ただそれだけだったのかもしれません。
けれど、
相手に悪気がないことと、自分がその関係を心地よいと感じることは別です。
相手を悪人にしなくても、
「私は、この関わり方は好きではない」
と言っていい。
相手が正しいのか。
自分が正しいのか。
そこを裁くのではなく、
「私は、どんな関係を望んでいるのか」
と自分に戻る。
それが、ペンタクル9の成熟です。
自分の実りを、誰と分かち合うかは選んでいい
「器が大きい人なら、惜しまず教えられるのではないか」
そう考えて、自分を責める人もいるでしょう。
もちろん、自分が持っている知識や経験を人に分かち合うことは、とても美しいことです。
けれど、
豊かであることと、無制限に与え続けることは違います。
ペンタクル9の人物は、豊かな庭に立っています。
その実りは、自分が時間をかけて育ててきたものです。
だからこそ、
誰と分かち合うのか。
どこまで差し出すのか。
自分で選ぶことができます。
そしてペンタクル9には、もう一つ大切な意味があります。
それが、自立です。
相手からどう評価されるかによって、自分の価値を決めない。
「もっと与えなければ、心の狭い人だと思われるかもしれない」
という不安から、自分を差し出し続けない。
与えたいときには、気持ちよく与える。
違うと感じたなら、そこで止める。
その選択ができることも、大人の豊かさです。
次に誘われたら、関係の形を変えてみる
もしまた話したい気持ちがあるなら、同じ形を繰り返す必要はありません。
たとえば、
「前回は私が質問に答える時間が多かったので、次はお互いにテーマを一つずつ持ち寄って話しませんか」
と提案してみる。
あるいは、
「勉強会としてやるなら、お互いの経験を持ち寄れる形にしたいです」
と伝えてみる。
それで気持ちよく交流できるなら、関係はより良い形へ変わっていきます。
反対に、そうした形に相手が興味を示さないのであれば、そこから見えてくるものもあります。
そして、
「もう定期的に会わなくてもいいかな」
と思うのであれば、少し距離を置いてもかまいません。
大切なのは、相手を罰することではありません。
自分が心地よく関われる形を、自分で選ぶことです。
違和感は、自分の価値観を教えてくれる
今回のペンタクル9を、私はこう読みます。
あなたの器が小さいのではありません。
今回の違和感によって、
「私は、一方的に何かを与え続ける関係ではなく、互いに何かを持ち寄れる関係を望んでいる」
という、自分の価値観が見えてきたのです。
違和感は、相手が悪いことを証明するものではありません。
けれど、
自分にとって何が心地よく、何を大切にしたいのかを教えてくれる感覚
ではあります。
だから、自分の感覚をすぐに、
「私の器が小さいから」
と片づけなくていい。
ペンタクル9の庭には、豊かな実りがあります。
その実りを誰と分かち合うのかは、自分で選んでいいのです。
次に会うなら、互いに持ち寄れる関係へ。
それが難しいなら、少し距離を置く。
どちらを選んでもかまいません。
自分が築いてきたものを大切にすることは、器が小さいことではありません。
それは、
自分の時間と経験、そして自分自身の価値に、
静かな敬意を払うことなのです。






