「旦那が亡くなってからのほうが幸せ」そう思う私は、冷たい人間ですか?
「夫が亡くなってから、私は幸せになった。」
こんなことを言ったら、きっと誰かに責められる。
「旦那さんを愛していなかったの?」と思われるかもしれない。
それでも、今の私はあの頃よりずっと穏やかに笑えている。
夫の死が私を幸せにしたのではない。
私はようやく、“自分の人生”を生き始めたのだ。
結婚していると、いつの間にか「自分」より「妻」でいる時間が長くなることがある。
相手の予定に合わせる。
相手の体調を気にする。
家族のことを優先する。
自分が少し我慢すれば丸く収まるなら、それでいいと思う。
それは決して、不幸な結婚だったという意味ではない。
愛しているから合わせることもある。
大切だから支えることもある。
けれど、誰かを大切にすることと、自分自身を後回しにすることの境界線は、とても曖昧だ。
気づけば私は、
「私はどうしたい?」
ではなく、
「妻としてどうするべき?」
で物事を決めるようになっていた。
亡くなった直後から幸せだったわけではない
もちろん、夫が亡くなってすぐに「自由になった」などと思ったわけではない。
寂しかった。
悲しかった。
これから先、どうやって生きればいいのかわからなかった。
人を失うということは、その人だけを失うのではない。
一緒に歳を重ねるはずだった未来も、
何年後かに行くはずだった旅行も、
何気なく囲むはずだった食卓も失う。
「あるはずだった未来」が、突然なくなる。
だから苦しい。
ところが時間が経つにつれて、私はある変化に気づいた。
朝起きて、
「今日はどうしよう」
と思ったとき、
誰かに予定を確認する必要がない。
何を食べるか。
どこへ行くか。
誰に会うか。
何を始めるか。
全部、自分で決めていい。
最初は、そのことにすら戸惑った。
そしてある日、思った。
ああ、私はずっと、自分の人生を誰かと相談しながら生きていたんだ。
幸せになったのではなく、「自分に戻った」
好きな場所へ行く。
会いたい人に会う。
興味を持ったことを勉強する。
疲れたら休む。
誰かの顔色ではなく、自分の心に聞いて決める。
そんな当たり前のことを繰り返しているうちに、私は少しずつ変わっていった。
そして気づいた。
私は、
夫が亡くなったから幸せになったのではない。
夫が亡くなったあと、
「妻」という役割の奥にいた自分自身を、もう一度見つけたのだ。
だから幸せを感じられるようになった。
この違いは、とても大きいと思う。
タロットの「死神」は、本当は怖いカードではない
占いの世界にも、「終わり」を象徴するものがある。
タロットカードの13番。
死神。
名前だけ聞けば、不吉なカードだと思う人は多い。
しかし、死神のカードが象徴する大切なテーマの一つは、
「終わりと再生」だ。
何かが終わる。
そして空いた場所に、新しいものが入ってくる。
季節が終わるから、次の季節が始まる。
古い価値観を手放したから、新しい自分に出会える。
ただし私は、人の死に対して、
「あなたが成長するために必要だった」
「運命がそうさせた」
などと簡単に占いで意味づけることには違和感がある。
人の死を美談にする必要はない。
悲しいものは、悲しい。
理不尽なものは、理不尽だ。
けれど、
起きてしまった出来事のあと、どう生きるか。
そこにはまだ、私たち自身が選べる部分が残されている。
占いとは、本来そこを見るものなのではないだろうか。
「なぜこんなことが起こったの?」
だけではなく、
「ここから、私はどう生きたい?」
その問いを一緒に考える。
私は、そんな占いでありたいと思う。
幸せになると、亡くなった人を裏切るのか
伴侶を亡くしたあと、幸せになることに罪悪感を抱く人もいる。
旅行へ行って笑った日。
美味しいものを食べた日。
新しい趣味を始めた日。
そして、もし新しい恋をしたなら。
ふと、
「私だけ幸せになっていいの?」
という気持ちが湧いてくる。
でも私は思う。
幸せになることは、亡くなった人への裏切りではない。
忘れなくてもいい。
思い出を消さなくてもいい。
寂しいままでもいい。
人間は、
悲しいか、幸せか、
どちらか一つしか感じられないわけではない。
会いたい。
寂しい。
それでも今日は楽しい。
あの人との時間は大切だった。
そして今の人生も大切。
その両方を抱えて生きていい。
人生の第二章に、許可はいらない
夫婦だった時間も、私の人生だ。
一人になってからの時間も、私の人生だ。
どちらかを否定する必要はない。
人生には、自分では選べない「終わり」がやってくることがある。
死別。
離婚。
退職。
子どもの独立。
人間関係の終わり。
突然、自分の役割を失うことがある。
そのとき私たちは、
「私はこれから何者になればいいのだろう」
と戸惑う。
でも、本当は何者かにならなくてもいい。
ただ、自分に戻ればいい。
夫が亡くなった。
私は悲しかった。
たくさん泣いた。
それでも私は生きている。
そして今、私は以前より幸せだと言える。
そのことを、もう罪悪感で打ち消さなくてもいいと思っている。
なぜなら、
亡くなった人を愛し続けることと、自分の人生を幸せにすることは、同時にできるから。
人生の続きをどう生きるかは、残された人に託されている。
だから私は、生きる。
笑う。
新しいことを始める。
そして、幸せになる。
それは故人を忘れることではない。
残された自分の命まで、一緒に終わらせないということなのだ。






